イタリア・南仏旅行(15)まとめその2 お金

アメリカに来て初めてヨーロッパに行ったときは、AAAでドル建てのトラベラーズチェックを作って行く先々で両替をした。日本では今でも銀行で外貨を買えるけど、オマハあたりの地元銀行で果たして外貨を買えるところなどあるのだろうか?海外に行くときは、この10年ほどは、お金は現地調達が基本。ATMとクレジットカードが頼りである。

わたしが普段から多く使っているカードはアメックスとビザ。それぞれの会社のサイトの説明によると、アメックスは「海外旅行にお出かけになる前に、連絡いただく必要はありません。ご使用パターンに不審な点があれば、ご連絡します」とのこと。ビザと銀行は「海外旅行に出かける前に、ご連絡ください」とのことだったので、カスタマーサービスに電話すると、途中の乗り換え地まで含めて旅程を全部聞かれた。(同じアメックスやビザでもカードの種類、口座履歴によって扱いが違うかもしれないので、ご自分の口座で確認を。)

出発の前日、家の戸棚の中にあったユーロを全部かき集めて20ユーロほどの現金を発掘。現地でキャッシュを下ろせるまでは、これだけが頼りである。

最初にATMカードを試したのは、パリのシャルル・ド・ゴール空港での乗り継ぎ待ちの間。さすが国際空港だけあって、HSBCだったか、ともかくわたしでも名前を聞いたことのあるような大手銀行のATMがあったので、そこで試してみると無事にユーロが出てきた。大手銀行でお金を下ろしたのはこのときだけ。後は行く先々の地元銀行のATMだったので、銀行ネットワークの違いのせいか、海外利用手数料以外の余分の手数料も取られている模様。しかし、特に目的もなく田舎をフラフラとした旅行だったので、どこでもお金がちゃんと出てきただけでも儲けものと思っている。ちなみに最近は田舎の地元銀行(南仏で使ったのは直訳すると「コートダジュール農業信用銀行」という名前。「コートダジュール」と「農協」がこんな風に結びつくとは!)のATMでもちゃんと言語の選択ができるのがありがたい。英語はたいてい星条旗じゃなくてユニオンジャック印ですが。

ところでレンタカーはマニュアルシフトだったので、同居人だけを単独のドライバーにしたかったのだが(わたしはマニュアルシフトは運転しないので)、単独のドライバーなら本人のクレジットカードでないとダメと言われた。同居人はクレジットカードを持たず、デビットカードだけなので、そのカードを出したらあえなく撃沈。同居人も出発前に銀行に電話して、海外で使うことを報告してあったのだが、どうやらレンタカー屋のお姉さんがチャージしようとした額が、銀行口座の預金残高よりも多かったようだ。(レンタカー屋などでデビットカードを使おうとすると、実際の料金よりも多めにチャージされる。もちろん車を返したときに精算して、差額は戻ってくるのだけど、その間、そのお金は使えないことになるので要注意。)銀行のコンピューターは同居人のデビットカードに「要注意」のフラッグを出したらしく、旅行中そのカードは使えなかった。(電話すればブロックは解除されたのだろうけど、面倒だからとわたしが人間ATMをする羽目に。結局アメリカに帰って来てから銀行に電話してブロックを解除してもらった。)

(あと、帰って来てからネットで検索して知ったのだが、銀行やカード会社に電話で海外で使用する旨を報告しても、カスタマーサービスが正しくコンピューターに入力せず、海外で使用不可能になることもあるとのこと。出発前に最低2回電話して確認するのが良いのだそうだ。)

さて、先日のポピーさんのご質問にも出た、「アメリカのクレジットカードはヨーロッパでは使えないというのは本当ですか?」わたしもこれはしばしば新聞やネットで見ていたので心配していたのだけれど、問題になったのは1回だけだった。ホテル、レストランは全部大丈夫。もちろんイタリアも南仏も観光が産業のメインだから対応がよいという可能性はある。高速道路はなるべくキャッシュで払っていたのだが、さすがに仏伊国境からピサまでの33ユーロはキャッシュの持ち合わせがなく、イチかバチかでアメリカのビザカードを機械に入れてみたら、ちゃんと問題なく処理された。(料金所係員はスト中だったので、有人窓口は閉まっていた。)料金所の機械がクレジットカードを読めないと出口渋滞の原因になるから、その辺の対応はちゃんとしているということなのだろうか?レストランはどこでもカードの読み取り機をテーブルに持ってきて、目の前でスワイプして精算する方式。アメリカも早く、この方式になれば、レストランの従業員がカードの不正使用をするチャンスが減ると思うのだけど。

問題は、そのただ1回の読めなかった「事件」である。レンタカーを返す前にガソリンを満タンにするべく、ガソリンスタンドを探したのだけど、夜9時を回っていたので24時間営業のところ以外はどこも閉店。24時間営業といっても、スタンドに併設されたコンビニは閉店中で、要はポンプの機械しか稼働していない。アメリカでは日中でも夜間でもガソリンスタンドのポンプのところでクレジットカードで支払うことが多いと思うけど、イタリアではわたしたちの限られた経験では、どうも違うようだ。ポンプの横に現金投入器、ガソリンスタンドチェーン独自のカード専用の読み取り機、それから一般のクレジットカード読み取り機の3種類があったが、現金を使う人が多いようだった。わたしたちは現金の持ち合わせが多くなかったので、クレジットカードで払いたかったのだけど、こういうときに限ってクレジットカードはヨーロッパ式のチップの入ったカードしかダメという。係員がいる時間帯なら、係員が手動でクレジットカードを処理してくれるのだろうけど、何軒か回ってもアメリカ式のクレジットカードの読めるガソリンスタンドは見つからなかった。なんとか手持ちの現金を全部投入して、満タンのちょっと手前くらいまで給油することはできたけど、こういう落とし穴があったとは!(最悪の場合は、もう一度、銀行でお金を下ろすことも考慮した。)ついでに、現金は一度に50ユーロ分しか給油することができないらしい。ヨーロッパのガソリンは高いから(イタリアでリッター当たり1ユーロ80セントくらいだった)、50ユーロでは小型車でも満タンにならないですよ。

イタリア・南仏旅行(14)まとめその1 通信

ネットで調べると、海外旅行する人のための通信手段(電話、コンピューター)のおすすめがいろいろ見つかる。やれロックされてないiPhoneに現地のSIMカードを入れろとか、モバイルWiFiルーターがいいとか。ガジェット好きや頻繁に渡航する人にはいいのだろうけど、わたしのようにそもそも電話は滅多にかけない・かかってこない、ネットは繋がればうれしいけど、一週間くらい繋がらなくても困らない場合、そういうものに投資する気になれない。しかし携帯電話の普及とともに、公衆電話の類はどこの国でも姿を消しつつあるし、2週間も完全に音信不通になればラボの方も困る(喜ぶ?)だろうと思って、最低限の装備はして行くことにした。

電話はAT&TのiPhone(3年前に買ったもの。その前は化石のような年代物の電話だった。)なので、そのままでもアメリカ国外で使えるらしい。しかし、何のプランにも入らず、単純に国際ローミング扱いになると、電話やデータの単価がベラボウに高くなるらしい。そこで、使うか使わないかわからないけれど、電話はWorld Traveler(月$5.99の基本料金に、通話ごとのチャージがかかる)、データは$30(一番安いヤツ)の120MBパッケージを申し込んでみた。データはこの量ではせいぜいメールチェックと緊急時のグーグルマップくらい。これらのプランはAT&Tのサイトで自分のアカウントにログインすると、好きな日から開始・停止できるので便利だった。

わたしはAT&Tのサイトで見て自分で選択して申し込んだのだけど、「アメリカ国内から海外にかけるプラン」と「アメリカ国外から電話をかけるプラン」が同じページに混在しているので、よく確かめて申し込む必要があると感じた。

さて、この装備で出かけた結果は?

ホテルはイタリアではどこも無料WiFiにアクセスできたので、iPhoneのデータプランを使う必要はなかった。南仏は無料WiFiがなかったけれど、数日間ならネットなしの生活もまた楽しからずや。緊急時のメールチェック用に買ったはずのデータプランだが、南仏の風景の中では仕事のメールチェックなどする気はすっかり失せる。結局データプランで見たものと言えば、地図や天気予報。どうしてもWiFiが必要になれば、フランスのマクドナルドには無料WiFiがあると聞いていたので、それを利用するつもりだったけれど、実際は利用する機会はなかった。

電話は緊急時の連絡用にと思って申し込んだのだけど、結局使う機会ゼロ。逆に言えば緊急事態が発生しなかったという意味でもあるので、$5.99は無駄になったけれど、別に問題はない。

ひとつ心がけていたのは、本当に使いたいとき以外は、データ通信をオフにすること。メールや定期購読物などは全部、自動送信をオフにしてあるが、それでも気づかないうちに貴重なデータ枠を思いがけないアプリに使われては困るので、こまめに手動でオン・オフを繰り返した。

もちろんその反動で、デトロイトに着いたときは、すぐさまデータ通信をオンにして、意味もなくネットで遊びましたけどね。

イタリア・南仏旅行

昨晩(23日)、イタリアから帰って来ました。2週間の旅行のうち、学会が半分、休暇が半分。休暇の方は「学会が終わったあと、6月23日にピサ発の飛行機で帰る」ということ以外何も決めてなかったので、全くの行き当たりばったり。(同居人と旅行すると必ずこうなる。)ボチボチと写真を上げていきます。(元の日付で上げる予定なので、ブログの見た目としてはちょっと変になるかも。)

イタリア・南仏旅行(13)帰途

この日は早朝(7時半発)の飛行機でピサからパリへ、パリで乗り換えてデトロイト、と行きと同じコースを逆に辿ることになったのだが、6時過ぎにレンタカーを返しに行ったら当然のことながら係員は誰もいない。時間外ドロップオフの箱に鍵を書類を入れ、空港に戻るべく、レンタカーオフィスの前でバスを待てど、バスの姿は見えず。仕方がないから空港まで歩いた。

初日にも書いたように小さな空港であるが、どうもここはレンタカー駐車場から空港まで歩くことは想定の内であるらしく、なんと歩道に「ターミナルまで何メートル」とわざわざペイントしてある!まあ、たかだか500メートルくらいだから、歩いてもどういうことはないのだけど、荷物を大量に抱えた人には辛いだろう。

アメリカでは今時、地面の上を歩いてタラップを登って飛行機に乗るというパターンは非常に少なくなっているのだけど、ヨーロッパではまだまだ健在らしく、ピサでもパリでもタラップで昇降させられた。しかしあれ、車椅子の人はどうするのかね。アメリカの空港では車椅子の人をたくさん見かけるのだが。

一つ興味深かったのが、アメリカからパリに到着したときは、パリでパスポートにスタンプを押してもらって、ピサでは入国審査はなかったのだけど、帰りはピサで乗るときもパリに到着したときもパスポートをチェックされた点。フランスはイタリアの国境管理を信頼してないってこと?アメリカ行きはセキュリティがうるさいから、もちろんパリを出るときにもパスポートをチェックされたけど。ちなみに日本のパスポートはセキュリティを素通りできる確率が高いように思う。イスラム圏のパスポートを持った若い男性なんか、別室にご案内されて飛行機に乗り遅れたとか、かなりブツブツ言ってる人がいた。

ピサからパリへの飛行機では朝食と称して菓子パン(デニッシュ)と飲み物が出たのだけど、これがとんでもない代物。デニッシュは合成甘味料と合成着色料の味しかしないし、コーヒーはなんとインスタント。アメリカの国内線は2時間程度のフライトでは食事は出なくなって久しいが、こんな食べられないような食事を出されてもねえ。

パリのシャルル・ド・ゴール空港の国際線ターミナル、前に来たときは早朝の出発便で売店は開いてなかったから気づかなかったけど、ここって日本人の好きそうなブランド店がたくさん揃ってるのね。別にパリの街なかに行かなくても、空港で一日過ごせば、必要な買い物は全部できるんじゃないかと思えるような品揃え。

パリ・デトロイト間はA Fish Called Wandaという結構むかしの映画を見て笑いこけた。弁護士の奥さん、あれ、完全にダイアナを意識してるのね。80年代の映画にしては、なかなか、ワードローブは今見ても許容範囲。

なにあれ、飛行機は少し遅れたけれど、乗り継ぎに影響もなく、無事に2週間の旅を終えたのだった。

イタリア・南仏旅行(12)再びピサへ

帰りは高速道路一本でピサへ。

わたしたちが走った区間は、フランス国内はキップではなく何キロかおきに料金所バリアがあり、そのたびにお金を払う仕組みだった。念のため、毎回値段を控えておいたけど、4.60, 2.90, 1.50, 2.20の4回で合計11.20ユーロ。イタリアは入り口でキップを取って、出口で精算する仕組みで、国境からピサまで33.90ユーロ。アメリカでは無料の高速道路に慣れているので、なんだかすごく高く感じる。

そうそう、イタリアの高速道路でちょっと感心したのは、トンネルの入り口は照明が非常に明るく、奥に行くにつれて暗くなるということ。外の明るい地中海の日差しの中からトンネルに入ると、目が慣れるのに時間がかかるから、これは理にかなっていると思った。ただしこの方式が採用されていたのは仏伊国境に近い部分だけで、ジェノヴァから先はそうではなかった。もしかしたらこれは新方式で、徐々に全国に広まるのだろうか?

料金所は有人窓口、無人で現金・クレジットカードを受け付ける窓口、それからレスポンダーで自動でチャージされるものの3種類があったが、有人窓口はこないだストしてたこともあり、以来、無人窓口でほとんど現金で払ってきた。ただし最後の33ユーロはクレジットカード払い。

途中、大きな渋滞もなく、無事にピサ到着。初日に泊まったホテルにチェックインして、最後の夕食は海辺でピザを食べようということで、最初にレンタカー屋のお姉さんに教えてもらったティレニアという海辺の街に行き、「ピザ」と看板の出ているところに適当に入る。シーフードピザに5ユーロ追加でエビを2匹乗せてもらったら、こんなのが出てきた。


「睨み鯛」ならぬ「睨み海老」だ(笑)。

夕暮れ時の海水浴場。ビーチチェアとパラソルが整然と並ぶ。

海水浴客が皆帰ってしまった後まで、しつこくビーチで遊ぶジイさんたち。

最後にガソリンを満タンにしなければならないのだが、これでひどい目にあった。早いうちにガソリンを入れておけばいいものを、同居人が「晩御飯がすんでからでええやん。」というものだから、夕食後にガソリンスタンドに行ってみたら、どこも窓口は当然閉まっている。無人で24時間営業しているところは、現金と、ガソリン会社のカードしか取らないところが多い。やっと普通のクレジットカードを取るところを見つけたら、なんとアメリカのカードは読めませんと!(アメリカのカードがヨーロッパで読めないことは以前から問題になっているのだが、クレジットカード会社は積極的に対策を取っていないようだ。)仕方ないのでありったけの現金を機械に押し込み、なんとか満タンのちょっと手前くらいまでガソリンを入れた。(日中は窓口の係員にカードを渡せば、アメリカのカードでも受け付けるようなので、これは夕食後まで放置した同居人が悪い!)最後まで人騒がせなヤツだ。


View June 22, 2012 in a larger map

イタリア・南仏旅行(11)プロヴァンス続き

いよいよ休暇も大詰め。23日の早朝のフライトでピサを出発するので、22日は移動日。ということで、この日が「遊び」の最終日となる。ピサの途中まで戻ることも考えたけれど、プロヴァンスからピサの距離は500キロもないので、高速を走ればたかだか数時間。もう一日、プロヴァンスで遊ぼうということになった。(移動すればまた泊まるところも探さないといけないし。)

この日は前日行った湖のちょっと先のMoustiers-Sainte-Marieというところがいいというので、そこへ行ってみる。プロヴァンス風陶磁器(ファイアンス焼きと呼ばれる)の集積地で、色とりどりの陶器の店がたくさん並んでいたが、これまたわたしたちが勉強不足だっただけで、プロヴァンスの名所の一つらしく、狭い街は観光客でごった返している。

教会

山腹に建てられたチャペル。ここから街を見下ろすことができるそうだ。(足の悪い人を抱えているので、ここへは登らず。)

街の中を清流が走る

なかなか可愛らしい街なのだけど、何しろ混雑しているので早々に退散して、前日とは違う方向に走ってみる。

一面のポピー

ラヴェンダー畑

Riezという、これまた古いけれどあまり観光化していない街で一休みした後、湖の北岸にあるSte-Croix-du-Verdonという街へ。こちらは古くからある街だが、湖ができたときに湖岸へのアクセスを付けたようだ。趣きのあるせいか、前日のLes Salles-sur-Versonより人が多い。

Ste-Croix-du-Verdon


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イタリア・南仏旅行(10)プロヴァンス

偶然の成り行きでAupsの近くの農家に泊まることになったわけだが、部屋の中に置かれた何冊かのガイドブック、パンフレットを見るまで、ここが「世にも有名な」プロヴァンスであることに気づかなかった。もちろん古代ローマ史としては、北部イタリアはガリア・チサルピーナ(アルプスのこちら側のガリア)、南仏はプロヴィンチア(その名もズバリ、「属州」)であることは当然の常識だけど、エクスの辺りだけでなく、仏伊国境から西は全部プロヴァンスだとは気づかなかった。だいたい南仏がローマの属州化した経過って、ポエニ戦争とカエサルの時代の狭間で、ローマ史でも注意して読まないとあまり出てこないように思う。カエサルの時代には南仏はもう立派に安定したローマの属州だったからね。

さて、果樹園をのぞむ寝室で一夜を過ごし、翌朝、キッチンで食事をしていると、こんなのがやって来た。

こちらがドア近くに立っていると、小枝を咥えてやって来て、足元にポトリと落とす。「これを投げて遊べ」ということらしい。まあ、何回やっても、飽きないことこの上ない。ここのご主人の言によると、「千回やっても、もっとやれと言うんだよ」とのこと。疲れると裏の貯水槽で水を飲んで、暑ければそこに飛び込んでちょっと涼むようだけど、なにせ、こちらがちょっとボーっとしていると、すぐに枝を持って来て遊べと催促する。

人間は犬と違って貯水槽に飛び込むわけに行かないので、近くの湖に行くとこにしたが、その前にAupsで食料の買い出しと思ったら、ちょうどマーケットの日だった。

Aupsのマーケット

ソーセージ屋

チーズ屋

陶器屋

別のソーセージ屋

パン屋

オリーブ屋

マーケットを後に、目指すはLac de Sainte Croix。どうやらダムでできた人造湖のようである。

湖の南岸のLes Salles-sur-Verdonという街に来たが、よく晴れた暖かい日だというのにほとんど人がいない。北欧系の観光客がチラホラいるくらい。地中海岸の大混雑がウソのようである。この街はこの人造湖ができた後に観光用に作られた街のようで、建物はこの数十年以内に建てられたらしい趣きのないものばかりである。

一方、近くのAiguinesという街は山の中腹にあり、湖には直接面していないが、古くからある街らしい。城館が改装されてホテルになっている。


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イタリア・南仏旅行(9)「ニースの北側」

前日、(クソ不味い)レストランで隣のおじさんが見せてくれたブラックベリーの地図で「グラース」という地名に覚えがあったので、この日はまずグラースを目標にドライブすることにする。幸いなことにわたしがイタリアのレンタカー屋でもらった地図には、ギリギリでグラースまで載っていたし。ホテルの受付のおじさんに「グラースの地図はあるか?」と聞いてみたら、「地図はないけど」と言って香水のパンフレットを見せてくれた。そうだ、「グラース」という地名は、香水の産地として雑誌かなんかで見たことがあったのだった。

ホテルでもらったアンティーブ周辺の地図によると、ホテルのすぐ側にRoute de Grasseというのがあったので、名前からして当然、これを辿っていけばグラースに到着するのだろうと判断して出発した。思いもかけず、グラースへの道は立派な自動車専用道路だった。グラースの出口には香水の蒸留器の模型が設置され、ここが香水の大産地であることを示している。しかし、途中の道は立派でも、グラースの街そのものは古いヨーロッパの街。狭い道に観光バスが収まりきれず、市内への道はちょっとした渋滞状態だった。

香水の街ということで、街全体に香水の香りが溢れているのかと思いきや、グラースの街ではほとんど香水の匂いがしない。売り物の香りは工場の外には絶対漏らさないようにできているのだろうか。しかしグラースに来てみても、わたしたちは別に香水工場の見学がしたかったわけでもないので、この先のドライブのためにガソリンスタンドでとうとうこの地域の地図を買った。

「あんまりフランスの奥深くに入り込んでも、帰りが大変だしね」と言いながらも、グラースから進路を西に取る。田舎の国道を走っていると彼方にお城が見えたり、「そうそう、こういう景色が見たかったんだよね」

途中、Aubergeという看板を見ては「ここは宿泊するのにどうだろう」と検討したが、雰囲気がイマイチだったり、休業中だったり。「B&B、プール付き」という看板を見て、「よし、次に同じようなのが出てきたら、そこに泊まることにしよう」と思ったとたん、そのような看板は見かけなくなったり。

次に見えたお城らしきものを目掛けて車を進めると、そこはTourettesという小さな村だった。

Tourettes

村役場の前にアトリエを構えるオランダ人のアーティストと言葉を交わしたのち、さらに西進。つぎにたどり着いたのはCallasという街で、ここは何と街の入り口に小さな公園がありピクニックテーブルが。ホテルの朝食で余分にパンやヨーグルトを確保してあったので、街の中でハムとトマトを買い、この公園でピクニックをすることにした。

Callas

お腹もくちくなったところで、今日は早い目にどこか泊まるところを探そうと、とくに深い考えもないまま、Aupsという街を目指すことにする。旧市街の真ん中にいくつかホテル兼レストランがあったので、いちおう値段を尋ねてみると、いちおう手頃な範囲内。近くにTourtourという村があって、そこもなかなかいいよとホテルの人が言うので、もしTourtourに良いのがなければAupsに戻ってこようという計画でTourtourに向かう途中、通り道の農家の「オリーブオイル、ジャム、農作物直売」の看板に並んで「部屋あります」のサインが。敷地の中に入ってみると、そこはオリーブ、桃、サクランボなどの木が立ち並ぶ果樹園で、農作物直売所の向かいには古い石造りの農家が建っていた。


View June 19, 2012 in a larger map

イタリア・南仏旅行(8)南仏へ

さて、この辺りもひと通り回ったし、次はどこに行こう?最初は「この際、フェリーに乗ってコルシカでも行く?」(ジェノヴァからコルシカに渡り、コルシカからピサの近くに戻ることができる)と言ってフェリーの時刻表を調べてみたら、どうもこの季節はフェリーは毎日運行しているわけではない模様。とくに週の前半は間引き運航のようで予定が合わず、この計画はボツ。このまま地中海沿いに北上して、ニースの辺りまで行こうということになった。

ジェノヴァの市街地をウイークデーの混雑の中走るのは嫌なので、ジェノヴァを少し越えた辺りまで高速で。あとはVia Aureliaを海岸沿いに走る。行けども行けども海水浴場。国境のヴェンティミリアで700という標識が出ていたから、ローマから伊仏国境まで700キロなのか。オマハーシカゴとほぼ変わらない距離。アメリカ感覚では「近い」(一日で車で十分行ける)。ヨーロッパの一つの国は、アメリカで言えば一つの州くらいのサイズか。

途中のスーパーマーケットで果物やら飲み物やらを買う。青果は売り場の札についている番号を覚えておいて、そばにある秤で計量し、その番号を打ち込んで値札のシールを自分で作るというシステムで、はじめはその仕組みがわからなかったのでレジまで行って売り場に差し戻し。アメリカのスーパーだと、商品に番号シールが貼ってあるので、レジの人がそれを見て打ち込んでくれるのだが、買い手が自分でシールを打ち出す方法だと、レジの人はほとんどトレーニングなしで雇われたその日から働ける。ワインは一番安い、箱入り1リットル89セントというヨーロッパならではのトンデモな代物を買ってみた。しかしそこのスーパーで笑ってしまったのが、同居人が必死で店のおばちゃんに「ピーナツバターはないか」と聞きだしたとき。もちろん「ピーナツバター」なんてイタリア語は知らないから、袋入りのピーナツを指さして、「これのペースト」と叫んでいたら、おばちゃんが、「ああ、ブーロ(バター)か」と理解してジャムやらマーマレードやらの並んでいる棚に連れていってくれるも品切れ。まったくアメリカ人というのは血管の中にピーナツバターが流れてるのかしらん。

前日、ネットでサンレモからニース周辺のB&Bをいくつか見ていたのだけど、実際近くまで行ってもても見つからない。(予約もしていないから見つけようという気合もないからかもしれないが。)

フランスに入ったとたん、舗装が少しよくなり、道幅も広くなったような気がする。しかし、いつの間にかVia Aureliaの表示がなくなった。(フランス側にはVia Aureliaはほとんど保存されていないらしい。その件については前も引用したこの記事が詳しい。)どこか良さそうな場所を求めて西進するも、目の前に広がるのは雑踏ばかり。気が付かないうちにモナコを抜け(ずっと海岸沿いを走ってたからモナコを通過したはずだけど、気づかなかった)ニースに突入。「昔来たとき、ニースの港の近くに穴場みたいなホテルがあった」という同居人の言葉を頼りに港まで行くも、その穴場だったはずのホテルはきれいに改装され、一泊300ユーロ!「昔」っていったいいつの時代だったんでしょうね。

ニースから退散してさらに海岸沿いに西進してアンティーブへ。ここはピカソが住んだところだそうだが、当時の鄙びた漁村の面影はなく、これも大観光地に。しかし、いくら夏至間近といっても日没時間が迫ってきていたので、海岸から少し離れたところにビジネスホテルのようなものを見つけ、そこに泊まることにする。

ホテルの横にレストランが付いていたので、そこで夕食を取ったのだが、これが不味いこと!イタリアではどこに行ってもこんな不味いものはなかったのに!しかしここでも収穫は、レストランの隣の席に座っていたフランス人のおじさん(マルセイユの政府関係の機関で働く建築技師だそうだ)が、「ニースの山側はいいところですよ」と言ってブラックベリーで周辺の地図を見せてくれたこと。その言葉を頼りに、翌日は「ニースの北側」に行こうということになったのだった。


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イタリア・南仏旅行(7)チンクェ・テッレ

次は何をしようといろいろ思案したところ、同居人が「船で陸地から近い島にでも行かれへんかな」と言い出した。ホテルの英語のできるオネエチャンに「フェリーはないか?」と聞いたら、「いいものがある」と教えてくれたのがこれ

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陸の交通の不便なチンクェ・テッレを回るフェリーサーピスである。

わたしたちの泊まったホテルに一番近い乗り場はレヴァント。ホテルからレヴァントまで半時間もかからないが、車を停める場所を見つけるのが一苦労だった。なにせ同居人は妙なところが根っからのアメリカ人なので、「フェリーがあるということは、船着場の側にフェリー会社専用の駐車場があるに違いない」と変な確信を持って出発。わたしはここ数日の経験で、専用駐車場みたいなアメリカ人の発想に合うものは絶対存在するわけがないと信じていたので、レヴァントに着いてから無事に車を停めるまでに1時間かかるだろうと見ていた。(2日前のドライブでレヴァントも通過したので、だいたいの街の概略は把握していた。そもそも専用駐車場を作るような土地の余裕があれば、あの二台の車がギリギリでしかすれ違えない細い道をまず何とかするやろ?)

海岸からちょっと離れた穴場スポットを偶然見つけ(駐車無料!)、なんとか出港の時間に間に合って港に着く。

レヴァントの海水浴場

海岸をのぞむホテル

別段、目的があって船に乗ったわけでもないし、途中乗り降り自由ということだったので、終点まで行かずにどこか途中で降りてのんびりご飯を食べて、そこから帰りの船を捕まえようということになった。(終点は2日前に通ったラスペツィアの近く、ポルトヴェネレ。ここは通過したときにまるで遊園地のような混雑ぶりだったので、できれば行きたくなかった。)あいも変わらずガイドブックに頼らない旅行なので、船の同乗者にどこかいいところはないかと聞くと、イタリア人とドイツ人がリオマッジョーレがいいという。そこでチンクェ・テッレ最大の街、リオマッジョーレで降りて、港の近くのレストランで2時間かけて昼食を取り、レヴァントに向かう最終便で帰ることにした。

「陸の孤島」チンクェ・テッレは(下調べせずに旅行する)わたしたちが知らなかっただけで、実は大人気観光地らしい。特に最大の街、リオマッジョーレはフェリーを降りて、階段を登って街の中心を見物するというのはどのガイドブックにも載っている定番らしく、港から続く急な狭い階段を登り降りする観光客の列が絶えなかった。同居人は膝が悪いので階段の昇降は大嫌いで、港のすぐ近くのレストランに陣取ったのだが、隣のテーブルはイギリス人の初老のグループ旅行、反対側のテーブルは日本人の若い兄ちゃんの一人旅(二人前のシーフード料理を一人で平らげてた!)、船の時刻表を気にしているのはフランス人、となるほど国際色豊かな観光地であった。

リオマッジョーレ

イタリアの優秀なところは、前日のジェノヴァもそうだが、観光地の観光客相手のレストランでも美味しいこと。まあ、イタリア風のシーフード料理などというのは、グリルしてオリーブオイルとレモンをかけるだけだから、素材さえ良ければ失敗のしようがないとも言えるが、不味いアメリカのシーフード料理に辟易気味の身としては、ちゃんと新鮮な素材を提供してくれるだけでもありがたく思える。

砂浜のないリオマッジョーレの海岸の岩の上でアザラシかオットセイのように寝そべる人々