地震支援チームの経験から

オマハにはあまり大きな日本人コミュニティはないが、大学の中で積極的に地震津波災害支援を率いてくださる方(日本出身の方)がおられるので、できるだけ活動には参加させていただくようにしている。先日、そのミーティングがあったので、そこで思ったことを少々。

アメリカ人の考える「援助」の典型は、お金や労力を集めて、それによって直接の恩恵を被った人の笑顔を見る、というパターンだと思う。これはアメリカ国内のハリケーンやトルネードでも、国外の地震や津波でも同じこと。「相手の顔の見える援助」というものを重視する。つまり、「山田さん一家は津波のために、先祖代々、百年以上にわたって耕してきた農地を奪われました。けれど、わたしたちの援助によって、新しい耕耘機を購入し、流された表土を入れ替え、来年の作付けに向けて準備を進めています。」(そこに、新しいピカピカの耕耘機の運転台に座る『山田さん』の写真が載る)という具合。アメリカの新聞、雑誌の記事を少し読めば気づくと思うけれど、とにかく具体的な例を引き合いに出す、というのがお定まりのパターンになっている。

そういうメンタリティが背景にあるから、地震支援チームの活動状況を学内の上層部に報告するときに、カルチャーギャップに悩まされるという。大学上層部は、「もう地震から3ヶ月以上も経つのだから、そろそろ何らかの目に見える形での業績があってしかるべきだろう」と期待するらしい。うちの大学の支援チームは、集めた寄付金を赤十字などに送るより、もうちょっと相手の顔の見える援助をしたいということで、間に紹介する人もあったので、被災地の特定の学校に対象を絞って援助を計画しているという。ところが、被災地側の方に具体的にどのような援助が必要かと尋ねたら、「自分は下っ端なので、一存では決定しかねる。」もう少し上の組織に話を通してもらったら、「全国の学校に平等に支援をするというなら手助けできるが、特定の一校だけの支援なら当方は介入できない。」何とか適当な立場の人にようやく渡りをつけてもらったと思ったら、「こちらからどのような援助が欲しいとは言えない。そちらがどのような援助ができるのか、言ってほしい。」アメリカ側は現在のところ完全に手弁当、予算ゼロで活動しているので、大学の正規活動として予算を付けてもらうためには、被災者側からどのような援助が必要か言ってもらわないとならないということで、堂々巡りばかりでなかなか物事を前に動かすのに時間がかかるということだった。

わたしは被災地側の対応を非難するつもりはない。日本の通例としてはその通りだと思う。しかし、「せっかくの義援金が被災者の手元に届いていない」という背後には、このような小さな歯車の齟齬がいくつも積み重なっているのであろうことは容易に想像できる。だからこそ、つまらない政争に明け暮れる中央政界に頼らず、このエコノミストの記事にあるように、地元が主導権を握らないことには、復興は進まないと思う。

Text message (SNS) で寄付できますよ

ツイッターなどで、地震に対する寄付の情報がいろいろ流れているいますが、これは見かけなかったように思うので、紹介させていただきます。

テキストメッセージでアメリカの赤十字 (American Red Cross) に寄付すると、電話料金に上乗せされるそうです。クレジットカード情報を入れたくない場合など良いかもしれません。(わたしは試したわけではないのですが、元情報は New York Times です。)

[引用] Red Cross officials say donors can text REDCROSS to 90999 and a $10 donation will automatically be charged to donor’s phone bill

地震

今回の地震のニュースを最初に知ったのは、ツイッターからだった。木曜日(アメリカCST)の夜、ツイッターを見てたら、「まだ揺れてる」とか、「オフィスのパーティションが動いてる」とか、どの人もこの人も地震の実況中継。関東地方に少し大きな地震があると、ツイッターの画面(タイムライン、TLと呼ばれる)が地震実況中継一色になるのは珍しくないので、ああそんなもんかと思っていたら、そのうちに「津波警報」だとか「仙台駅の写真」だとかが登場するようになり、これはただ事ではないと気がついた。

本当にこれが「ただ事ではない」「観測史上最大級の」地震であることを知ったのは、(CST)金曜日の朝。TLは首都圏の交通情報、トイレや仮眠施設の情報、それから「俺、もう4時間歩いてる」とかそういうのがびっしり。それに混じって、震源に近い被災地の人探し、救助を求める声などが見られるようになった。

金曜の夜からは話題の中心は原発の状況。冷静な日本の核物理の専門家の声に混じって、恐怖感をかき立てるような「評論家」のツイートが出没。原発事故というのは諸外国(といってもわたしが見るのは主に米英のメディアだが)のジャーナリストの感情を揺さぶるものがあるらしく、日本語より約半時間遅れみたいな英語の扇情的(meltdown! explosion!)ツイートが頻出するのに閉口した。

エジプトやチュニジアの政変が「ツイッター革命」とか「フェイスブック革命」とか称されたが、たしかに有事の際にツイッターのTLを追っていると、不思議な一体感を感じる。その意味で、今回の日本の地震も「ツイッター地震」と呼べるかもしれない。

さて、ここまでのところで思ったことをいくつか。(あとでまとめて書こうとすると、どうせ忘れるので。)

今回は、震源に近い地域は別として、東京などでは電気、電話といったインフラが音を上げた状態でも、ネットはかなり安定していた模様。緊急時には互いの安否を確認するために電話回線がパンクするので、フェイスブックみたいに「実名で」「実社会の友人知人に向けて」自分の無事を発信するシステムは有効かもしれない。これはツイッターのように自分で好きな人を勝手にフォローして情報を受け取るシステムと相補的に使うことで大きな効果を上げると思う。

そしてツイッターで重要なのは情報の質。どんな人をフォローするかで、入ってくる情報がまるで違ってくる。幸いにして今回、わたしのTLには良心的な人が多いらしく、流言飛語の類いはほとんどなかった(除く原発関連)。むしろ、「血液製剤には使用期限があるので、献血に行くなら今日すぐではなく、しばらくして皆の興味が薄れた頃に行け」とか、「個人で貢献するには、物資よりもまず金」とか、落ち着いた、的確な意見がほとんどだった。

それにしてもネットの力は偉大。神戸の震災当時にこれだけの情報網が存在していたら、どれだけ違っていただろう。人探し、安否確認電話メッセージシステムの使い方、リソースマップなどをリストしたグーグルのサイトが瞬く間に登場したし、NHKは番組をネット上で提供している。複数の情報伝達手段が存在すれば、少なくともひとつにアクセスできる可能性は高まる。

あと、こんなときにちょっと心の和む映像を見ることができるのもネットの良さだろう。節電を呼びかけるポスターサイトは、cornyではあるが、altruismの具現でもある。(う〜ん、日本語むずかしい。。。)

[追加]
救援にやってきた空母ロナルドレーガンの甲板に描かれた人文字とされている写真は、どうやら違うらしい。(出典