ツイッターで流れてきた情報だが、日本語の遺伝学用語が改定になるかもしれないらしい。(日本語の新聞サイトは定期購読していないので出だししか読めないのだが、別に有料部分に記事の出だしとは反対の結論が書いてあるとも思えないので、わたしの読んだ部分に記事の必要部分はすべて凝縮されていると思う。)
「劣性遺伝」「優性遺伝」などという言葉は、どちらの性質が見た目(表現型)に出るかだけのことで、遺伝子そのものの優劣を表す言葉ではないが、それをよく知らない人が聞いたら誤解するかもしれない、というのが理由だという。
しかし、いちおうプロの立場として言わせてもらうと、「優性」「劣性」などという表現そのものが、「遺伝」が抽象概念でしか捉えられてなかった時代の遺物であり、遺伝子の実態(ほとんどの生物でDNA)が理解されており、なおかつ多くの遺伝子で、なぜ一方の表現型のみが見た目に出るのかという仕組みが解明している現代では、特に学習初期(高校生物とか大学学部生向けの生物とか)にこのような単語を使った古典遺伝学を教えることは、学習者を混乱させるばかりで何もメリットはないのではないかと思う。「遺伝学の黎明」としてメンデルのお話を教えるのはいいとして、それはあくまでとっかかりの「お話」であって、本当に遺伝学を理解させることが目的なら、遺伝子はDNA上にコードされていること、DNA配列の違いが遺伝子の産物にどういう影響を及ぼすか、それがどういう表現型につながるかを現在の知見で説明する方がよほどわかりやすいのではないか。(そもそも遺伝の概念はメンデルよりもずっと古くからあった。家畜や農作物の品種改良は人々が無意識のうちに「遺伝」を理解していたことの証左だ。)
例えば、最初にリンクを貼った新聞記事には「髪の色なら濃い色は薄い色に対して優性だ。一方が黒髪で、もう一方が金髪なら子どもは濃い色の髪になる。」とあるが、これはあまり適切な例ではない。黒髪と金髪の子供なら、真っ黒よりは栗色の髪になることも多い。ところがマウスの場合、茶色いマウスと黒いマウスをかけ合わせると、仔は茶色になることもある。これはマウスの毛の色を決める遺伝子が1つでなく、複数の遺伝子の組み合わせで決まるからなのだが、これを古典遺伝学の「優性」「劣性」で解き明かそうとするのは、いわば中学入試の算数の問題を方程式を使わずに解けというようなもので、受験者の頭の回転を見るにはいいかもしれないが、本質の理解を問うなら方程式で解けばいいのである。
用語の云々といった小手先のことよりも、もっと他に考えることはあると思うんだけどね。