Posted in Computers, Life on Jan 22nd, 2012 2 Comments »
ほんの2年前までは、携帯は買って10年近くになろうかという時代物、「そんな古い機種、充電できなくなるでしょ?」と言われても、そもそも電話自体ほとんど使わないので関係ない、という状態だったのだが、この2年ほどの間に電話はiPhoneに買い替え、読書はKindle、家のコンピュータはMacBook Air、なぜかiPad2も持ってるという、アメリカ経済に貢献する消費者の鑑(?)に変身してしまった。 日本ではiPadが出たときに「電子書籍リーダー」として紹介されたようだけど、わたし個人の感想としてはiPadは重すぎて手軽に本を読むには向いていない。自分の用途として何に一番近いかといえば、この手のビジネス用ポートフォリオケース。 ノートパッドにペン、資料などをまとめて持ち運べて、物によっては電卓を収納するコンパートメントもあったり、というオフィス文房具である。 最近は論文の類はすっかり印刷しなくなった。こちらがコンピューターの画面上で読むのに慣れたのと、学術系出版社のサイトデザインが向上して画面上で読みやすくなったこととが相まって、論文は印刷しないだけでなく、基本的にはローカルのハードドライブに保存することも止めてしまった。(論文やグラントに引用文献一覧を作成する必要上、論文のデータはデータベースに保存している。)しかし、その場で読めない論文、ちょっと詳しく読みたい論文などは、DropboxにPDFをダウンロードして、iPadから開いた時間(ミーティングの待ち時間とか)に読むようにしている。昔なら印刷して、メモ帳といっしょに持ち歩いていたのと同じ感覚である。iPadの良い点は、画面のスクロール、ズームイン・ズームアウトがスムーズなこと。Kindleを買った当初、KindleでPDFが読めると聞いて試したことがあるが、iPadに比べると、全くお話にならない。新しいKindle Fireは試したことがないが、タッチスクリーンの操作性は”You get what you pay”だと聞く。 それから、もう一つ愛用しているのがメモ取り機能。周囲のiPad userを見ると、最初から付随のNotesというアプリケーションを使って、オンスクリーンキーボードでポチポチやってる人が多いが、わたしはとにかく縦長ディスプレイに拘りがあるので、縦長にするとキーボードが狭くて操作性が悪い。しばらくはブルートゥースのキーボードを持ち歩いてみたが、それだとMacBook Airを持ち歩くのとあまり変わらない。(MBAは縦長では使えないけど。)しばらく試行錯誤した末、現在一番満足しているのが、Notes Plusというアプリケーションである。最新版はキーボード入力のみならず、手書き入力を変換する機能もついており、なかなか精度よく変換してくれる。(手書きの問題点は、全体をグラフィックとして保存するので、iPadのような非力なマシンだと、ページめくりが遅いのである。テキスト(アルファベット)にするとファイルサイズが縮小し、ページめくりのモタつき感がない。)もう一つ、無料のNotesにはできない機能としては、フリーハンドで描いた絵を入れられること。セミナーのメモを取るには、非常に重要である。 ということで、自分にとってiPadは基本的にはglorified notebookなのだが、セミナーの最中に「あれ、この遺伝子、どっかで聞いたことがあるけど、何だったっけ?」とか、「これをノックアウトしたらどうなるんだろう?」とかいう、あまり本筋とは関係がない疑問をその場でPubMedにアクセスして解決できるメリットも大きい。ちなみに自分の場合はほとんど大学の中でしか使わないので、安いWi-Fiオンリーバージョンである。どうしても外でインターネット使いたい場合は、iPhoneから3G使えばいいし。 わたしにとっては、「テクノロジー」を実感したのはiPhoneを買ったときだった。買う前に他の人のiPhoneを触らせてもらったことがあったから、どんなことができるのかは知っていたけれど、やっぱり実際に使ってみるとその「簡単さ」は感動的。それまでの携帯は、電話番号を登録するにも、一度は取り扱い説明書を見てみないと使い方が分からなかったが、(わたしの持ってた携帯に至っては、9個までしか電話番号を登録できないというすごい代物だったし)iPhoneはそんなことは全くなし。(Kindleも最初は取り扱い説明書を見ないと、どうやって操作していいのか分からない類のマシンである。)だからiPadを手にしたとき、操作の簡単さには目新しさはなかったのだが、「iPhoneの画面が大きくなったら、あんなこともこんなことも出来るだろうな」というのを実際に体現してみせた、という感じかな。 (しかし、冬休みが明けて一ヶ月ぶりくらいにお目にかかったわたしのオルガンの先生までiPhoneを持ってられたのにはびっくり。まあ、学生相手の仕事してると、最近はメールとテキストは必須かもしれないけど。)
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Posted in Books, FI, Life on Jan 16th, 2012 2 Comments »
同居人は読書が好きである。しかし、特にどの本が読みたい、というのではなく、たまたま見かけた本で安くて(←ここが非常に重要ポイント!)面白そうなのがあれば読む、という読み方である。したがって、これまではダラーストアやGoodwillで適当に本を買い込んでくるのが常だった。(ダラーストアとか行ったことない方のために説明すると、ちょっと前の新刊書の売れ残りが1冊1ドルで平積みになっている。) しかしわたしの目から見て、この手の本の一番の問題点は場所ふさぎになること。読書の定位置であるカウチの周辺は、読みかけのハードカバー本(ダラーストアの本はなぜがハードカバーばかり)が山のように散乱している。わたしは以前から電子ブックへの移行を強く薦めていたのだが、いつまでたっても聞き入れられないので、今回、実力行使ということでクリスマスに同居人に一番安いKindleをプレゼントした。わたし自身はKindleもiPadも持っているが、本気で読書するにはKindleが一番という結論に基づいての選択であって、決してKindle ($79) の方がiPad ($499) より格段に安いからだけではない。(強調するところがアヤシイ?) 我が家のキーワード(?)は「ケチ」「無駄遣いをしない」なので、「Kindleを使えば、Project Gutenbergにあるような古典が無料で読めるよ。」というのが釣り文句であったことを白状しておこう。 さて、クリスマスプレゼントの包みを開けて、しぶしぶKindleを手にした同居人、「こんなもんで本読むのなんか嫌や。」とさんざん抵抗していたのだが、「この本とこの本とこの本をダウンロードしてセットアップしてくれるんやったら、試してみてもええわ。」というところまで妥協させるのに成功した。 以前から少し気になっていたことなのだが、Kindleのひとつの問題点は、本の貸し借りが容易でないことである。最近は一回だけ、2週間貸せるようになったようだが、紙の本の時代のように、「この本、面白かったよ。あなたも読んだら?返してもらわなくていいから。」という貸し方ができない。同居人のKindleに本をダウンロードするにあたって、わたしのアカウントを使うのがいいのか、向こうのアカウントを使うのがいいのか、それとも新しいKindle用にダミーアカウントを作るのがいいのか、いろいろ考えながら検索していたら、同じようなことを考える人はKindleが登場した初期から少なからずいたらしく、たくさんのヒットが見つかった。 Amazonの公式見解は「購入したKindle本は、そのアカウントに属します。一回購入したKindle本は、同じアカウントに属する6台までのマシン(Kindle専用機、Kindle Appを搭載したPCやiPhone、タブレット)に同時にダウンロードできます。同じアカウントに属するマシンからは、そのアカウントが他にどんな本を購入したのか、アーカイブを見ることができます。」ということで、それ以上のことに関しては口をつぐんでいる。しかしここで、親が子供のためにKindle本を購入して、読ませたいと思ったとしよう。子供用に専用のKindleを買ってやるのはいい。しかしKindleはアカウントと直結しているので、そのままの状態で子供に与えると、買ってやった本以外に、(親のクレジットカードを使って)他のものも勝手に買ってしまうかもしれない。ネットワーク接続を切った状態で与えても、そんなものを操作するのは大人よりも子供の方が得意に違いない。Parental controlの使い方を子供に教えてもらうという話も聞くし。子供用に別にアカウントを作ってやっても、そのアカウントにはクレジットカードを直結させないといけないので、子供の勝手な買い物を防ぐことはできない。アーカイブ機能も良し悪しで、親が買った本の中には子供に見られたくないものもあるだろう。 このようなジレンマを解決するには、ちょっと手間だが以下のような使い方ができる。(Amazonはこのような使い方は推奨していないが、amazon.com内のフォーラムに記載されたまま、削除される様子もないので容認しているのだと思う。親子でのこのようなやり取りを禁止すると、AmazonとしてもPR上、好ましくないだろう。) 子供のKindleを親のアカウントに登録する。 子供のKindleに必要な本をダウンロードする。 ダウンロードが完了したことを確認して、子供のKindleを親のアカウントから登録解除する。この場合、子供は自分のKindleからその本を削除しない限り、その本を読み続けることができる。 子供に新しい本を与える必要があるたびに、これを繰り返す。 こうすると、子供はKindleから無断で買い物できないし、親の購買記録を覗くこともできない。これは家族内でのシェアの方法だが、同じ方法で友人のKindleを自分のアカウントに「一瞬」だけ登録して、自分の買った本をシェアすることも可能なはず。ただし、一台のKindleが次から次へと違うアカウントに登録・解除を繰り返していると、そのうちAmazonに目を付けられるのではないかという議論もあった。 これを機に、家の中から紙の本が一掃とまではいかなくても、これ以上増えなくなったらうれしいのだけど。
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Posted in Life on Dec 25th, 2011 2 Comments »
クリスマスイブの深夜ミサが終わって家に帰ってきたのが午前2時。最近、深夜ミサを早めに繰り上げる教会も多いらしいが、うちはご丁寧に11時から前奏、ミサの開始は本当に午前0時。クリスマス当日は朝9時半のミサのために8時半集合。家に帰って犬といっしょに爆睡。 先週、教会でこんなのを配ってたので、一つ貰って来た。 これは昔の東欧の家庭のクリスマス風景。封筒になっていて、中にこんなのが入ってる。 降誕の光景を描いた薄い煎餅のようなもの。これはベツレヘムの星と聖母子と子羊。ミサで使われるホスチアと同じ素材で出来ている。 ポーランド、スロヴァキア、リトアニアあたりの東欧のクリスマスイブに供され、オプラトキと呼ばれる。失われつつある東欧の伝統を次代に伝えようということで、ここ数年、うちの教会ではわざわざ無料で配布するようになったらしい。中西部には実は東欧系の人がかなり多いのである。 うちの同居人はスロヴァキア系3世で、例年、クリスマスイブにはクリーブランドのスロヴァキア系の教会(聖ウェンドリン)の信徒会館(日本の小学校の体育館か講堂くらいの広さ)で親類縁者が集まって大クリスマスパーティーをしていたので、そこでは必ずオプラトキが供され、蜂蜜をかけて食べていた。別に教区全体のパーティーではなく、一家族のためだけのパーティーで、どうしてクリスマスイブという特別な日に、特定の、それも別に地元の名士でもない普通の家族が毎年、教会の信徒会館を専有することができたのか不思議なのだが、同居人の兄弟姉妹、それぞれの家族、それに同居人の従兄弟たちとその家族、と100人規模のパーティーだった。日本ではクリスマスはケンタッキーフライドチキンを食べる日なんだそうだけど、スロヴァキアのクリスマスイブは、スープにピロギと呼ばれる団子、ザワークラウトだとか、魚の入ったキャセロールとか、そういったものがメインだった。 20世紀初頭には、鉄鋼をはじめとする工場労働者としてクリーブランドに多くのヨーロッパからの移民が流入し、民族ごとに集まって住み、教会を建てた。昔のヨーロッパもそうだと思うが、当時のアメリカにおける教会というのは、信徒の子供たちのための学校を経営し、放課後の課外活動の場を提供し、単なる宗教施設ではなく、完全に生活の一部だったのである。しかし移民たちがミドルクラス化するにつれて、多くの家族は郊外に移り住み、市内のエスニックな教会は十分な信徒数を確保できなくなった。聖ウェンドリンも、新たに市内に移り住んだ中南米系のカトリック信徒の数が増え、スロヴァキア系の教会としてのアイデンティティを確保するのが難しくなり、数年前に司教の決断で付近の教会と教区を統合、約100年にわたる歴史を閉じた。 時代の移り変わりである。
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Posted in FI, Life, Money on Dec 23rd, 2011 2 Comments »
アメリカでチャリティーに寄付をする場合、現金で寄付をすれば(支払った額)ー(見返りにもらったものの価値)が正味の寄付額として所得税控除の対象となるのは広く知られた事実。ここでいう(支払った額)ー(見返りにもらったものの価値)というのは、当該のIRSのページに登場する例えによれば、 「教会のダンス付きディナーのチケットを65ドルで購入しました。この企画のすべての収益は、教会に寄付されます。ダンス付きディナーのfair market valueは25ドルです。この場合、65ドル(支払った額)から25ドル(見返りにもらったものの価値)を差し引いた残り40ドルを控除することができます。」 現金でなく、モノを寄付した場合も、控除することができる。以前は車や船舶を寄付すれば、それが運行できる状態にあるかどうかに関わらず、多くの人が極上状態の中古の値段で控除を計算していたが、最近は規則が変わって、原則的としてチャリティーがそれを中古市場で転売したときの値段でしか控除できなくなった。それでも衣服や家具の寄付は、まだまだ使える不要品のリサイクル法の一つとして定着している。 さて、前から気になっていたのだけど、現金でもモノでもなく、チャリティーのために自分の時間を提供したらどうなるのか?こんなセコいことを考えるのは自分だけかと思っていたらそうではないらしく、IRSの刊行物に答えが載っていた。これはノーだそうである。しかし、その時間を提供するために車を運転して現場に行かなくてはならなかった場合、それに対するガソリン代、有料道路料金は控除の対象らしい。 IRSの刊行物など、どうせ味気ないお役所文書だろうと思って敬遠していたが、この寄付に関する文書(Publication 526)はいろんな例に対して、「これはOK、これはダメ」とか書いてあって、結構面白い。しかもその例が、「うん、これってアメリカの日常生活だよね」と思わせる部分が多い。 例えば、サービスを提供した場合の例として、「わたしはチャリティーの事務所で週に6時間、ボランティアをしています。わたしと同じ仕事をしている受付嬢は、時給10ドルで雇われています。わたしは毎週60ドルを控除することができますか?」答えは「控除できません。」 「チャリティーの事務所は私の家から30マイル離れています。その距離を運転する車の経費は控除できますか?」答えは「家と事務所を往復するガソリン代は控除できます。」 「わたしは看護助手として病院でボランティアしています。その際、制服を着用するように規則で決められています。制服代は控除できますか?」答えは「その制服が、日常的に着用できないようなもの(いわゆるナース服みたいなものを想定しているのだと思う)なら控除できます。」(コスチュームフェチがどうのこうのというツッコミはなし。) 「ボランティアに行っている間、子供をベビーシッター代に預けなければなりません。ベビーシッター代は控除できますか?」答えは「寄付としては控除できません。(別のメカニズムで控除できることもある。)」 ということで、正規のチャリティー認可を受けている学校のベークセールにボランティアの売り子として3時間参加した場合、その3時間の売り子としての収入(金銭価値としては最低賃金 x 3時間で20ドルくらいかな)はもちろんのこと、あなたの本業が1時間300ドルの弁護士であったとしても、弁護士としての逸失利益(300ドル x 3時間で900ドル!)も控除の対象とはならないのである。
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Posted in Life on Dec 18th, 2011 4 Comments »
なんかちょっと面白い話題がツイッターに出ていたようだけど、乗り遅れたので、思うことを勝手にちらほらと。 (主にアカデミアを念頭においていると思われるけど)「日本で女性研究者が少ないのは」という話題から、「そういえばつわりの酷い人は大変だね」という話題になり、「つわりのメカニズムは解明されているのだろうか」とか「つわりの人種差ってあるのかな、日本ではつわりが酷くて入院したとか聞いたことあるけど、アメリカやヨーロッパでは聞かないなあ」とかいう話題に広がっていったこのTL。発言者が理系・生物系が多いということで、ほぼサイエンティフィックな流れに終始したようなのだが、自分としては「ちょっと違うんじゃないかな」というのが第一印象。 ヨーロッパはよく知らないので何とも言えないけど、アメリカで「つわりで入院した」という話を聞かないのは、経済的なものだろうと思う。もちろん、真冬でも半袖で外を闊歩するアメリカ人を見ていると、つくづく日本人とは体の作りが違うなあとは思う。しかし、日本では正常妊娠・分娩は健康保険の適用外だが、つわりが酷ければ「重度妊娠悪阻」とかなんとかで保険が効く。アメリカでは保険の種類によって妊娠・出産をカバーするものとしないものがあるが、カバーしない保険しか持ってない場合はつわりで入院するなんてまず経済的に不可能。妊娠をカバーする保険でも、つわりの場合、輸液と経過観察が基本的な線だろうから、アメリカの保険会社が外来治療ならともかく、そんな「入院」をカバーするとは思えない。現代アメリカの「入院」というのは「生命の危険があり、それに対して外来では対応しきれないような積極的な治療が必要」なのが標準のようである。 さらに(自分の印象に基づいた根拠のない)意見を述べさせてもらうなら、日本では、入院でもしなければ、その重篤度が認めてもらえないという社会的制約があるのではないかと思う。うちの職場の子持ちのアメリカ人(30代男性、白人)は、自分が風邪を引いたと言っては休み、子供が風邪を引いてデイケアに預かってもらえない、昨日は奥さんが休みを取ったから、今日は自分の番だと言っては休む。彼自身は人当たりもよく、普段は熱心によく働く人なので、彼が自分の有給休暇の日数内でまかなっている限り、誰もそれで文句を言うわけではない。しかしこれが日本なら、風邪引いたくらいで休むと「なんだ、あいつ」と言われる恐れがあるし、特に男性が子供の病気のために休みを取るなど、心理的な抵抗がまだまだ強くて難しいのではないかと思う。 こないだ日本に行ったときに知り合いのところでセミナーをさせてもらったのだが、「セミナーは5時からだから、3時くらいに来てもらえれば」と言われて、ああそうだ、日本ではセミナーは夕方遅くに始まるのが普通だったんだと思いだした。これなんかも、別にセミナーを午後の5時から始めないといけないと大学の内規で決まっているわけではないと思うのだけど、「働くお母さんサイエンティスト」なんか存在しない時代から慣習として受け継がれてきたものだろう。だから、日本の「男女共同参画」とかいうヘンテコリンな掛け声ばかりいくら掛けても、頑張って法律を制定しても、それを利用する側の意識改革がない限り、根本的な解決にはならないのではないかと思うのである。
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Posted in Life on Dec 17th, 2011 2 Comments »
最近、ようやくわたしのことも家の住人として認める気になったのか、週末の昼間、家にいると、トコトコと側にやってくる。 お目当ては、膝に乗ることらしい。本当に膝に乗るのが大好きである。「お座敷犬」のことを英語でlap dog(膝乗り犬)というのもむべなるかなである。
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Posted in Life on Dec 6th, 2011 4 Comments »
週末に雪が降って以来、急激に冬めいてきました。 今朝は目が覚めてみると窓ガラスがこんな感じ。 窓の外の湿気が巨大な氷の結晶になっています。窓にこういうものができている日は間違いなく寒い。温度計を見てみたら、朝8時の時点で華氏3度(摂氏マイナス16度)。 華氏と摂氏は自分の中では全く別の温度体系として認識しているので、なかなか簡単に換算できません。華氏20度台だと「ちょっと寒いけど、普通のオーバーコートでも大丈夫」なくらい、華氏10度台だと「真剣に寒い。外をしばらく歩くと鼻がグスグスする」、華氏一桁台は「空気が痛い」寒さ。これに慣れると華氏20度台は暖かく感じます。ラボのコールドルーム(摂氏4度)なんか問題外に暖かい。当然、帽子は必需品。髪の毛に変な型がつくなんて言ってられません。帽子なしに歩いていると奇異の目で見られます。 寒くなると妙に編み物がしたくなるので、今年はレッグウォーマーに挑戦。ソックスのように踵を作ったりする手間がないから簡単だろうと思ったら、模様を編むのに意外と時間がかかって一日1インチくらいしか進まない。片側だけで18インチもあるのに!なんとか編みあげて、寒い間に履けるようにしたいものです。
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Posted in Life on Dec 4th, 2011 4 Comments »
サンクスギビングあたりまで、穏やかな天候だったので、今年はてっきり冬が来ないものかと思っていたら(甘い?)、土曜日にしっかり初積雪。 本日の最高気温は、摂氏0度をわずかに越えるか越えないかといったところ。犬は…ご自分の「巣」の上で丸くなっている。(決して「喜び庭駆け回る」なんてことはないのです。)
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Posted in Life on Nov 27th, 2011 2 Comments »
今日のNew York Times Magazineの記事から。今風に言えば、「ブルドッグって、おわってる?」ていうところ?ブルドッグの品種の「理想」を追求し続けたあまり、純血のブルドッグは動物として生きていくのに適さなくなってるのではないかという記事。へちゃむくれた平らな顔のため気道が狭く、少し運動させるとすぐに息切れする。食物を誤嚥して肺炎を起こすこともしばしば。処置のために麻酔をかけ、挿管したら、覚醒しても自己抜管しないのだそうだ。(挿管されている方が、普段より呼吸が楽なためらしい。)皮膚にヒダがあるのが良いとされるため、しわの間に感染を起こす。角張った体型のため、いまや自然に交配することもできず、出産も帝王切開を要する。これがGM(遺伝子組み替え)で作られた品種なら、環境保護団体をはじめとする色々な団体がさんざん反対運動を起こしているだろうが、これは「普通の」交配で生み出された品種なので、大声で反対を唱える人はまだ少ない。しかし、イギリスのケンネルクラブはすでに「理想のブルドッグ」の定義を少し変更し、人工的に定義された「理想」のために動物の健康を損なうことがないようにという動きを見せている。 ブルドッグの人気の秘密は、そのへちゃむくれた顔、ずんぐりした体型、人が介助しないとほとんど何もできないところが、まるで(人間の)赤ん坊のようで、飼い主の母性本能をくすぐるのだそうである。ドッグショーではnon-sportingカテゴリーだが、同じカテゴリーの(見た目の)対局ともいえるのがプードルである。わたしは個人的には断然ブルドッグよりはプードル派であるが、好みの犬のタイプによる性格診断なんてあるのかしらん。(プードルはなんと言っても、あの長い鼻面がいいよね。賢そうで。テディベアカットだか何だか知らないけど、せっかくの長い鼻面が映えないのは好きじゃない。) 長いけど一気に読める興味深い記事。とくにペット好きには一読の価値ありと思う。
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Posted in FI, Life on Nov 19th, 2011 2 Comments »
今年もやってきた、職場の健康保険open enrollment期間。ブログを振り返ってみると、毎年この時期に同じネタばかりなのだけど(***)、年中行事の一環なので仕方がない。 今年の当地の健康保険関係の大きなニュースは、来年からdomestic partner(同性でも異性でもいい)が健康保険に入れるようになるかもしれない、というもの。まだ大学の評議会で正式に認可されたわけではないので、今回の保険の選択肢には入っていないのだが、この超保守的なネブラスカでは大ニュース。大学側は「近在の一般企業でもdomestic partnerの健康保険加入を認めるところが増えており、よい職員を集め、競争力を高めるためには、州立大学も同様のベネフィットを提供するべきだ」との意見。さてどうなることやら。 ちなみに現行の税制では、正式に結婚している家族や子供の健康保険のために雇用主が払った保険料は無税だが、domestic partnerはその適用外。だから、domestic partnerが保険に入ったら、その掛け金の自己負担分はpre-taxベースで払えないし、雇用主負担分は所得税の対象になる。(Domestic partnerが低収入なら、dependentにすれば税金は逃れることができるようだが。) 健康保険の保険料は、勤め人だと普通は自己負担分だけを見るだろうけど、大学で人を雇っていると、自分のグラントから自分や学生、テクニシャン、ポスドクの給料やベネフィットを出さなければならないので、雇用者負担分もすごく気になる。こちらで保険に入るか、配偶者の職場の保険に入るかで、年間、何千ドルも経費が違ってくるから。
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