イタリア・南仏旅行

昨晩(23日)、イタリアから帰って来ました。2週間の旅行のうち、学会が半分、休暇が半分。休暇の方は「学会が終わったあと、6月23日にピサ発の飛行機で帰る」ということ以外何も決めてなかったので、全くの行き当たりばったり。(同居人と旅行すると必ずこうなる。)ボチボチと写真を上げていきます。(元の日付で上げる予定なので、ブログの見た目としてはちょっと変になるかも。)

イタリア・南仏旅行(13)帰途

この日は早朝(7時半発)の飛行機でピサからパリへ、パリで乗り換えてデトロイト、と行きと同じコースを逆に辿ることになったのだが、6時過ぎにレンタカーを返しに行ったら当然のことながら係員は誰もいない。時間外ドロップオフの箱に鍵を書類を入れ、空港に戻るべく、レンタカーオフィスの前でバスを待てど、バスの姿は見えず。仕方がないから空港まで歩いた。

初日にも書いたように小さな空港であるが、どうもここはレンタカー駐車場から空港まで歩くことは想定の内であるらしく、なんと歩道に「ターミナルまで何メートル」とわざわざペイントしてある!まあ、たかだか500メートルくらいだから、歩いてもどういうことはないのだけど、荷物を大量に抱えた人には辛いだろう。

アメリカでは今時、地面の上を歩いてタラップを登って飛行機に乗るというパターンは非常に少なくなっているのだけど、ヨーロッパではまだまだ健在らしく、ピサでもパリでもタラップで昇降させられた。しかしあれ、車椅子の人はどうするのかね。アメリカの空港では車椅子の人をたくさん見かけるのだが。

一つ興味深かったのが、アメリカからパリに到着したときは、パリでパスポートにスタンプを押してもらって、ピサでは入国審査はなかったのだけど、帰りはピサで乗るときもパリに到着したときもパスポートをチェックされた点。フランスはイタリアの国境管理を信頼してないってこと?アメリカ行きはセキュリティがうるさいから、もちろんパリを出るときにもパスポートをチェックされたけど。ちなみに日本のパスポートはセキュリティを素通りできる確率が高いように思う。イスラム圏のパスポートを持った若い男性なんか、別室にご案内されて飛行機に乗り遅れたとか、かなりブツブツ言ってる人がいた。

ピサからパリへの飛行機では朝食と称して菓子パン(デニッシュ)と飲み物が出たのだけど、これがとんでもない代物。デニッシュは合成甘味料と合成着色料の味しかしないし、コーヒーはなんとインスタント。アメリカの国内線は2時間程度のフライトでは食事は出なくなって久しいが、こんな食べられないような食事を出されてもねえ。

パリのシャルル・ド・ゴール空港の国際線ターミナル、前に来たときは早朝の出発便で売店は開いてなかったから気づかなかったけど、ここって日本人の好きそうなブランド店がたくさん揃ってるのね。別にパリの街なかに行かなくても、空港で一日過ごせば、必要な買い物は全部できるんじゃないかと思えるような品揃え。

パリ・デトロイト間はA Fish Called Wandaという結構むかしの映画を見て笑いこけた。弁護士の奥さん、あれ、完全にダイアナを意識してるのね。80年代の映画にしては、なかなか、ワードローブは今見ても許容範囲。

なにあれ、飛行機は少し遅れたけれど、乗り継ぎに影響もなく、無事に2週間の旅を終えたのだった。

イタリア・南仏旅行(12)再びピサへ

帰りは高速道路一本でピサへ。

わたしたちが走った区間は、フランス国内はキップではなく何キロかおきに料金所バリアがあり、そのたびにお金を払う仕組みだった。念のため、毎回値段を控えておいたけど、4.60, 2.90, 1.50, 2.20の4回で合計11.20ユーロ。イタリアは入り口でキップを取って、出口で精算する仕組みで、国境からピサまで33.90ユーロ。アメリカでは無料の高速道路に慣れているので、なんだかすごく高く感じる。

そうそう、イタリアの高速道路でちょっと感心したのは、トンネルの入り口は照明が非常に明るく、奥に行くにつれて暗くなるということ。外の明るい地中海の日差しの中からトンネルに入ると、目が慣れるのに時間がかかるから、これは理にかなっていると思った。ただしこの方式が採用されていたのは仏伊国境に近い部分だけで、ジェノヴァから先はそうではなかった。もしかしたらこれは新方式で、徐々に全国に広まるのだろうか?

料金所は有人窓口、無人で現金・クレジットカードを受け付ける窓口、それからレスポンダーで自動でチャージされるものの3種類があったが、有人窓口はこないだストしてたこともあり、以来、無人窓口でほとんど現金で払ってきた。ただし最後の33ユーロはクレジットカード払い。

途中、大きな渋滞もなく、無事にピサ到着。初日に泊まったホテルにチェックインして、最後の夕食は海辺でピザを食べようということで、最初にレンタカー屋のお姉さんに教えてもらったティレニアという海辺の街に行き、「ピザ」と看板の出ているところに適当に入る。シーフードピザに5ユーロ追加でエビを2匹乗せてもらったら、こんなのが出てきた。


「睨み鯛」ならぬ「睨み海老」だ(笑)。

夕暮れ時の海水浴場。ビーチチェアとパラソルが整然と並ぶ。

海水浴客が皆帰ってしまった後まで、しつこくビーチで遊ぶジイさんたち。

最後にガソリンを満タンにしなければならないのだが、これでひどい目にあった。早いうちにガソリンを入れておけばいいものを、同居人が「晩御飯がすんでからでええやん。」というものだから、夕食後にガソリンスタンドに行ってみたら、どこも窓口は当然閉まっている。無人で24時間営業しているところは、現金と、ガソリン会社のカードしか取らないところが多い。やっと普通のクレジットカードを取るところを見つけたら、なんとアメリカのカードは読めませんと!(アメリカのカードがヨーロッパで読めないことは以前から問題になっているのだが、クレジットカード会社は積極的に対策を取っていないようだ。)仕方ないのでありったけの現金を機械に押し込み、なんとか満タンのちょっと手前くらいまでガソリンを入れた。(日中は窓口の係員にカードを渡せば、アメリカのカードでも受け付けるようなので、これは夕食後まで放置した同居人が悪い!)最後まで人騒がせなヤツだ。


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イタリア・南仏旅行(11)プロヴァンス続き

いよいよ休暇も大詰め。23日の早朝のフライトでピサを出発するので、22日は移動日。ということで、この日が「遊び」の最終日となる。ピサの途中まで戻ることも考えたけれど、プロヴァンスからピサの距離は500キロもないので、高速を走ればたかだか数時間。もう一日、プロヴァンスで遊ぼうということになった。(移動すればまた泊まるところも探さないといけないし。)

この日は前日行った湖のちょっと先のMoustiers-Sainte-Marieというところがいいというので、そこへ行ってみる。プロヴァンス風陶磁器(ファイアンス焼きと呼ばれる)の集積地で、色とりどりの陶器の店がたくさん並んでいたが、これまたわたしたちが勉強不足だっただけで、プロヴァンスの名所の一つらしく、狭い街は観光客でごった返している。

教会

山腹に建てられたチャペル。ここから街を見下ろすことができるそうだ。(足の悪い人を抱えているので、ここへは登らず。)

街の中を清流が走る

なかなか可愛らしい街なのだけど、何しろ混雑しているので早々に退散して、前日とは違う方向に走ってみる。

一面のポピー

ラヴェンダー畑

Riezという、これまた古いけれどあまり観光化していない街で一休みした後、湖の北岸にあるSte-Croix-du-Verdonという街へ。こちらは古くからある街だが、湖ができたときに湖岸へのアクセスを付けたようだ。趣きのあるせいか、前日のLes Salles-sur-Versonより人が多い。

Ste-Croix-du-Verdon


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イタリア・南仏旅行(10)プロヴァンス

偶然の成り行きでAupsの近くの農家に泊まることになったわけだが、部屋の中に置かれた何冊かのガイドブック、パンフレットを見るまで、ここが「世にも有名な」プロヴァンスであることに気づかなかった。もちろん古代ローマ史としては、北部イタリアはガリア・チサルピーナ(アルプスのこちら側のガリア)、南仏はプロヴィンチア(その名もズバリ、「属州」)であることは当然の常識だけど、エクスの辺りだけでなく、仏伊国境から西は全部プロヴァンスだとは気づかなかった。だいたい南仏がローマの属州化した経過って、ポエニ戦争とカエサルの時代の狭間で、ローマ史でも注意して読まないとあまり出てこないように思う。カエサルの時代には南仏はもう立派に安定したローマの属州だったからね。

さて、果樹園をのぞむ寝室で一夜を過ごし、翌朝、キッチンで食事をしていると、こんなのがやって来た。

こちらがドア近くに立っていると、小枝を咥えてやって来て、足元にポトリと落とす。「これを投げて遊べ」ということらしい。まあ、何回やっても、飽きないことこの上ない。ここのご主人の言によると、「千回やっても、もっとやれと言うんだよ」とのこと。疲れると裏の貯水槽で水を飲んで、暑ければそこに飛び込んでちょっと涼むようだけど、なにせ、こちらがちょっとボーっとしていると、すぐに枝を持って来て遊べと催促する。

人間は犬と違って貯水槽に飛び込むわけに行かないので、近くの湖に行くとこにしたが、その前にAupsで食料の買い出しと思ったら、ちょうどマーケットの日だった。

Aupsのマーケット

ソーセージ屋

チーズ屋

陶器屋

別のソーセージ屋

パン屋

オリーブ屋

マーケットを後に、目指すはLac de Sainte Croix。どうやらダムでできた人造湖のようである。

湖の南岸のLes Salles-sur-Verdonという街に来たが、よく晴れた暖かい日だというのにほとんど人がいない。北欧系の観光客がチラホラいるくらい。地中海岸の大混雑がウソのようである。この街はこの人造湖ができた後に観光用に作られた街のようで、建物はこの数十年以内に建てられたらしい趣きのないものばかりである。

一方、近くのAiguinesという街は山の中腹にあり、湖には直接面していないが、古くからある街らしい。城館が改装されてホテルになっている。


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イタリア・南仏旅行(9)「ニースの北側」

前日、(クソ不味い)レストランで隣のおじさんが見せてくれたブラックベリーの地図で「グラース」という地名に覚えがあったので、この日はまずグラースを目標にドライブすることにする。幸いなことにわたしがイタリアのレンタカー屋でもらった地図には、ギリギリでグラースまで載っていたし。ホテルの受付のおじさんに「グラースの地図はあるか?」と聞いてみたら、「地図はないけど」と言って香水のパンフレットを見せてくれた。そうだ、「グラース」という地名は、香水の産地として雑誌かなんかで見たことがあったのだった。

ホテルでもらったアンティーブ周辺の地図によると、ホテルのすぐ側にRoute de Grasseというのがあったので、名前からして当然、これを辿っていけばグラースに到着するのだろうと判断して出発した。思いもかけず、グラースへの道は立派な自動車専用道路だった。グラースの出口には香水の蒸留器の模型が設置され、ここが香水の大産地であることを示している。しかし、途中の道は立派でも、グラースの街そのものは古いヨーロッパの街。狭い道に観光バスが収まりきれず、市内への道はちょっとした渋滞状態だった。

香水の街ということで、街全体に香水の香りが溢れているのかと思いきや、グラースの街ではほとんど香水の匂いがしない。売り物の香りは工場の外には絶対漏らさないようにできているのだろうか。しかしグラースに来てみても、わたしたちは別に香水工場の見学がしたかったわけでもないので、この先のドライブのためにガソリンスタンドでとうとうこの地域の地図を買った。

「あんまりフランスの奥深くに入り込んでも、帰りが大変だしね」と言いながらも、グラースから進路を西に取る。田舎の国道を走っていると彼方にお城が見えたり、「そうそう、こういう景色が見たかったんだよね」

途中、Aubergeという看板を見ては「ここは宿泊するのにどうだろう」と検討したが、雰囲気がイマイチだったり、休業中だったり。「B&B、プール付き」という看板を見て、「よし、次に同じようなのが出てきたら、そこに泊まることにしよう」と思ったとたん、そのような看板は見かけなくなったり。

次に見えたお城らしきものを目掛けて車を進めると、そこはTourettesという小さな村だった。

Tourettes

村役場の前にアトリエを構えるオランダ人のアーティストと言葉を交わしたのち、さらに西進。つぎにたどり着いたのはCallasという街で、ここは何と街の入り口に小さな公園がありピクニックテーブルが。ホテルの朝食で余分にパンやヨーグルトを確保してあったので、街の中でハムとトマトを買い、この公園でピクニックをすることにした。

Callas

お腹もくちくなったところで、今日は早い目にどこか泊まるところを探そうと、とくに深い考えもないまま、Aupsという街を目指すことにする。旧市街の真ん中にいくつかホテル兼レストランがあったので、いちおう値段を尋ねてみると、いちおう手頃な範囲内。近くにTourtourという村があって、そこもなかなかいいよとホテルの人が言うので、もしTourtourに良いのがなければAupsに戻ってこようという計画でTourtourに向かう途中、通り道の農家の「オリーブオイル、ジャム、農作物直売」の看板に並んで「部屋あります」のサインが。敷地の中に入ってみると、そこはオリーブ、桃、サクランボなどの木が立ち並ぶ果樹園で、農作物直売所の向かいには古い石造りの農家が建っていた。


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イタリア・南仏旅行(8)南仏へ

さて、この辺りもひと通り回ったし、次はどこに行こう?最初は「この際、フェリーに乗ってコルシカでも行く?」(ジェノヴァからコルシカに渡り、コルシカからピサの近くに戻ることができる)と言ってフェリーの時刻表を調べてみたら、どうもこの季節はフェリーは毎日運行しているわけではない模様。とくに週の前半は間引き運航のようで予定が合わず、この計画はボツ。このまま地中海沿いに北上して、ニースの辺りまで行こうということになった。

ジェノヴァの市街地をウイークデーの混雑の中走るのは嫌なので、ジェノヴァを少し越えた辺りまで高速で。あとはVia Aureliaを海岸沿いに走る。行けども行けども海水浴場。国境のヴェンティミリアで700という標識が出ていたから、ローマから伊仏国境まで700キロなのか。オマハーシカゴとほぼ変わらない距離。アメリカ感覚では「近い」(一日で車で十分行ける)。ヨーロッパの一つの国は、アメリカで言えば一つの州くらいのサイズか。

途中のスーパーマーケットで果物やら飲み物やらを買う。青果は売り場の札についている番号を覚えておいて、そばにある秤で計量し、その番号を打ち込んで値札のシールを自分で作るというシステムで、はじめはその仕組みがわからなかったのでレジまで行って売り場に差し戻し。アメリカのスーパーだと、商品に番号シールが貼ってあるので、レジの人がそれを見て打ち込んでくれるのだが、買い手が自分でシールを打ち出す方法だと、レジの人はほとんどトレーニングなしで雇われたその日から働ける。ワインは一番安い、箱入り1リットル89セントというヨーロッパならではのトンデモな代物を買ってみた。しかしそこのスーパーで笑ってしまったのが、同居人が必死で店のおばちゃんに「ピーナツバターはないか」と聞きだしたとき。もちろん「ピーナツバター」なんてイタリア語は知らないから、袋入りのピーナツを指さして、「これのペースト」と叫んでいたら、おばちゃんが、「ああ、ブーロ(バター)か」と理解してジャムやらマーマレードやらの並んでいる棚に連れていってくれるも品切れ。まったくアメリカ人というのは血管の中にピーナツバターが流れてるのかしらん。

前日、ネットでサンレモからニース周辺のB&Bをいくつか見ていたのだけど、実際近くまで行ってもても見つからない。(予約もしていないから見つけようという気合もないからかもしれないが。)

フランスに入ったとたん、舗装が少しよくなり、道幅も広くなったような気がする。しかし、いつの間にかVia Aureliaの表示がなくなった。(フランス側にはVia Aureliaはほとんど保存されていないらしい。その件については前も引用したこの記事が詳しい。)どこか良さそうな場所を求めて西進するも、目の前に広がるのは雑踏ばかり。気が付かないうちにモナコを抜け(ずっと海岸沿いを走ってたからモナコを通過したはずだけど、気づかなかった)ニースに突入。「昔来たとき、ニースの港の近くに穴場みたいなホテルがあった」という同居人の言葉を頼りに港まで行くも、その穴場だったはずのホテルはきれいに改装され、一泊300ユーロ!「昔」っていったいいつの時代だったんでしょうね。

ニースから退散してさらに海岸沿いに西進してアンティーブへ。ここはピカソが住んだところだそうだが、当時の鄙びた漁村の面影はなく、これも大観光地に。しかし、いくら夏至間近といっても日没時間が迫ってきていたので、海岸から少し離れたところにビジネスホテルのようなものを見つけ、そこに泊まることにする。

ホテルの横にレストランが付いていたので、そこで夕食を取ったのだが、これが不味いこと!イタリアではどこに行ってもこんな不味いものはなかったのに!しかしここでも収穫は、レストランの隣の席に座っていたフランス人のおじさん(マルセイユの政府関係の機関で働く建築技師だそうだ)が、「ニースの山側はいいところですよ」と言ってブラックベリーで周辺の地図を見せてくれたこと。その言葉を頼りに、翌日は「ニースの北側」に行こうということになったのだった。


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イタリア・南仏旅行(7)チンクェ・テッレ

次は何をしようといろいろ思案したところ、同居人が「船で陸地から近い島にでも行かれへんかな」と言い出した。ホテルの英語のできるオネエチャンに「フェリーはないか?」と聞いたら、「いいものがある」と教えてくれたのがこれ

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陸の交通の不便なチンクェ・テッレを回るフェリーサーピスである。

わたしたちの泊まったホテルに一番近い乗り場はレヴァント。ホテルからレヴァントまで半時間もかからないが、車を停める場所を見つけるのが一苦労だった。なにせ同居人は妙なところが根っからのアメリカ人なので、「フェリーがあるということは、船着場の側にフェリー会社専用の駐車場があるに違いない」と変な確信を持って出発。わたしはここ数日の経験で、専用駐車場みたいなアメリカ人の発想に合うものは絶対存在するわけがないと信じていたので、レヴァントに着いてから無事に車を停めるまでに1時間かかるだろうと見ていた。(2日前のドライブでレヴァントも通過したので、だいたいの街の概略は把握していた。そもそも専用駐車場を作るような土地の余裕があれば、あの二台の車がギリギリでしかすれ違えない細い道をまず何とかするやろ?)

海岸からちょっと離れた穴場スポットを偶然見つけ(駐車無料!)、なんとか出港の時間に間に合って港に着く。

レヴァントの海水浴場

海岸をのぞむホテル

別段、目的があって船に乗ったわけでもないし、途中乗り降り自由ということだったので、終点まで行かずにどこか途中で降りてのんびりご飯を食べて、そこから帰りの船を捕まえようということになった。(終点は2日前に通ったラスペツィアの近く、ポルトヴェネレ。ここは通過したときにまるで遊園地のような混雑ぶりだったので、できれば行きたくなかった。)あいも変わらずガイドブックに頼らない旅行なので、船の同乗者にどこかいいところはないかと聞くと、イタリア人とドイツ人がリオマッジョーレがいいという。そこでチンクェ・テッレ最大の街、リオマッジョーレで降りて、港の近くのレストランで2時間かけて昼食を取り、レヴァントに向かう最終便で帰ることにした。

「陸の孤島」チンクェ・テッレは(下調べせずに旅行する)わたしたちが知らなかっただけで、実は大人気観光地らしい。特に最大の街、リオマッジョーレはフェリーを降りて、階段を登って街の中心を見物するというのはどのガイドブックにも載っている定番らしく、港から続く急な狭い階段を登り降りする観光客の列が絶えなかった。同居人は膝が悪いので階段の昇降は大嫌いで、港のすぐ近くのレストランに陣取ったのだが、隣のテーブルはイギリス人の初老のグループ旅行、反対側のテーブルは日本人の若い兄ちゃんの一人旅(二人前のシーフード料理を一人で平らげてた!)、船の時刻表を気にしているのはフランス人、となるほど国際色豊かな観光地であった。

リオマッジョーレ

イタリアの優秀なところは、前日のジェノヴァもそうだが、観光地の観光客相手のレストランでも美味しいこと。まあ、イタリア風のシーフード料理などというのは、グリルしてオリーブオイルとレモンをかけるだけだから、素材さえ良ければ失敗のしようがないとも言えるが、不味いアメリカのシーフード料理に辟易気味の身としては、ちゃんと新鮮な素材を提供してくれるだけでもありがたく思える。

砂浜のないリオマッジョーレの海岸の岩の上でアザラシかオットセイのように寝そべる人々

イタリア・南仏旅行(6)ジェノヴァ

このLa Rossolaというホテル、テラスから地中海が見え、WiFi完備、プールもあってなかなかの当たりだったのだが、不思議なことに道の途中にボナソーラのゴミ処理場がある。

なんでこんな景色のいいところにゴミ処理場を建てるのか、他所者には理解し難い。しかし、他にも海岸をのぞむ崖っぷちにゴミ収集所を設置している自治体を見たということは、イタリア人は風光明媚な場所にゴミ処理場を建てるのが好きなのか?

これはホテルの写真

この日はジェノヴァまで足を伸ばすことにした。前日、あちこちで高速道路の標識の他にVia Aureliaという標識を何度も見かけたのだが、調べてみると(WiFi バンザイ!)これはローマと南仏属州をつなぐ由緒あるローマ時代の主要街道。今でもイタリアの国道一号線なのだそうである。よって、このVia Aureliaをたどってジェノヴァに行くことにした。

と、思ったものの、この辺りはVia Aureliaは山の中のヘアピンカーブ続きで、山道走行に飽きたドライバーは高速道路に撤退。ジェノヴァの少し手前で高速を降りて、Via Aureliaに復帰し、市内の賑やかなあたりで車を停めて昼食。適当に海岸沿いのシーフードレストランに入ったが、なかなか美味しかった。ちなみに「当店では乳製品は使いません」とのことで、オイルはオリーブオイルのみ、チーズもバターもなし。

レストランの外観(左のパラソルがたくさん出ているところ)

レストランから見た地中海。猫の額ほどの狭い砂浜だが、無料海水浴場らしく、結構混み合っていた。

帰りはVia Aureliaをずっと南下。ジェノヴァの南は次から次へと海岸沿いにリゾートタウンが広がる。第一次世界大戦後に結ばれたラパロ条約のラパロというのも、そのひとつ。

イタリア・南仏旅行(5)学会終了

約一週間の学会も終わり、ほとんどの参加者は早朝からバスで空港に連れられて行ったのだが、こちらはこれから一週間のフリータイム!

まずはわたしの長年の懸案であったフィレンツェへ。今度は間違わずにルッカから高速に乗り、フィレンツェに無事到達したものの、市街は観光バスだらけ。同居人が「どこかに車止めて、歩いてみる?」と言うものの、「いや、こんな観光客だらけの中歩くのは、絶対いや!」と言ったら、「いいところがある」と連れて行かれたのが旧市街をのぞむ丘の上。Piazza Michelangeloと呼ばれるこの広場は、19世紀後半に作られたものらしい。

わたしにとって格別に思い入れのある土地は、季節はずれに一人で鬱々と訪ねるべきところで、同行者に急かされながら「観光」して回るべきところではない。こんどは絶対、季節はずれに一人で来るぞと心に決め、フィレンツェを後にしたのだった。

内陸がダメなら海岸があるさ、と再び高速に乗って地中海側へ。途中、Vinciという看板の出ている出口があったが、あれはどうやらヴィンチ村の最寄りの出口らしい。こんな地名が当たり前のように登場するところがいかにもトスカナと言うべきか。今回の旅行で形成されたわたしの「現代イタリア」のイメージというのは、2000年以上昔から続く大金持ちの先祖の遺産を切り売りして暮らしているtrust fund kidというところ。

ピサよりも北に行きたいという同居人の意見に基いて、ヴィアレッジョのあたりで高速を降りたのだが。。。

青信号の点灯している料金所の有人ブースに行ってみたら「ストライキ中」の張り紙があり、誰もいない。そのくせ、ゲートは開いたままになっていたので、何も払わずにそのまま高速から出てしまった。(これも後になって防犯カメラか何かからナンバープレートを読み取って、反則キップが送られてくるのだろうか?でも、ゲート開きっぱなしだったしね。係員の確信的犯行だと思うのだけど。)

さて、海岸沿いの道路を走ってみたら、どこもここもレストランとホテルと海水浴場のオンパレード。週末(金曜日)ということもあったせいか、人ごみが途切れることなく続く。果たしてこの混雑は南仏まで続くのだろうか?いやいや、もう少し北に行けば、混雑してない場所があるに違いない、とどんどん北上してるうちに、ラスペツィアに到達してしまった。(途中のカラーラなどは、さすがに世界に名だたる大理石の産出地だけあって、歩道の縁石が大理石だったり、それなりに面白い経験だったのだが、何しろ海岸沿いは混雑しすぎ!)

ラスペツィアの近くのガソリンスタンドのオッチャンの情報によると、この先は海岸沿いには道は通じてないという。(これが有名なチンクェ・テッレだと知るのは後のこと。)そこでなるべく海岸に近そうな内陸(山の中)の道を走り、海の方に道が通じているところを探すということを繰り返していたら、ボナソーラという街のはずれにホテルの看板が。「これ、ちょっと良さそう」という同居人の(全く根拠のない)直感で、矢印を辿って行くと、地中海をのぞむ山の中腹に建てられたホテルに到達したのだった。


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