US Mint 1ドル硬貨プログラムの変更

前のエントリーに書いたクレジットカードのポイントを貯める秘策、US Mint(造幣局)は1ドル硬貨の注文はクレジットカードでは受け付けないことになったらしい。–> *

今後のご注文はワイヤートランスファー、小切手またはマネーオーダーでとのこと。

役所の割には、なかなか素早い対応でしたね。

本当にお金を使わずにクレジットカードのポイントを貯める方法

う〜ん、世の中にはこんなことを考えつく人もいるのか。

「クレジットカードでガソリンを買えば、ポイント2倍!」とかいろんなキャンペーンがあるけれど、どれもこれも基本的には自分のお金が出て行くことには変わりがない。ところがこの方法を使えば、合法的に、自分のお金を1セントも使わずにポイントを得ることができるという記事を見つけた。

その方法とは!

アメリカ人はなぜか1ドル札に愛着が強く、1ドル硬貨は何度導入されても定着しない。(なぜ1ドル札の人気が衰えないかというもっともらしい理由のうちで、いちばん笑えるのは、「exotic danceに行って踊り子さんにチップをあげるのに、1ドル札なら衣装に挟めるけれど、硬貨は挟めないから」というもの。Exotic danceがどういうものかご存知なければ、自分で調べてください。それにしてもチップ1ドルって、ちょっとあまりにケチくさくない?)それを憂えた議会が、1ドル硬貨の流通量を増やすために、2005年に「造幣局から直接1ドル硬貨を購入すれば、額面通りの値段で買える。」という法律を通したらしい。これはどういう意味かというと、1ドル硬貨を1000ドル分注文すれば、買い手にかかる費用は1000ドルぴったり、送料、手数料は税金で賄われ、買い手の負担にはならないということ。

そこで、造幣局に1ドル硬貨を注文し、クレジットカードで決済、郵送されてきた硬貨を銀行に持って行って預金、その預金で購入代金を支払う、という手順を繰り返すことによって、自分のお金は1セントも使わずにクレジットカードのポイントを稼ぐ方法が生み出された。(これは返品ではないから、クレジットカードを使ったことになる。)

ごく少数の人が何度も何度も繰り返して1ドル硬貨を注文するので不思議に思った造幣局が調査した結果、このような方法があることが判明したのだが、いちおう違法ではないので防ぎようがない。ただし元の法律の目的は1ドル硬貨の流通を増やすことであって、この方法では造幣局から発送された硬貨はすぐに銀行に戻って来てしまうので、市中の流通は増えない。いちおう造幣局は個人の一人あたりの購入額上限を10日ごとに1000ドルまでとすることで対処しているらしいが、元の法律が変わらないかぎり抜本的対策は無理とのこと。

いろんなことを考える人がいるのね。

先週号のエコノミストの表紙

先週号(7月9日ー15日号)のエコノミストは「ニュースメディアの将来」という特集を組んでいたが、18世紀のカフェが活発な情報交換の場であったことを踏まえて、それをもじった表紙がちょっと面白かったので紹介。

(画像をクリックすると大きくなります。)

残念ながらネット版の表紙絵はこれ以上大きなものが見つからず、拡大しても解像度があまり良くないので細かいジョークは読みにくいかも。全体に共通するツボは、エセ18世紀風の綴り、言葉遣いで、現代のメディアトレンドをおちょくっているという部分。

1. ケーブルテレビのニュース専門局のように見えるが、アンカーの女性は髪粉をふった鬘をつけ、18世紀風のドレスを着ている。画面下のテロップは”NEWS BREAKETH”(CNNなどではよく”Breaking News”(緊急特報)というテロップが出る)。Breakethという、わざと古い活用を使っている。テレビが流れているものの、誰も画面の方を向いていないというのも、重要な点かもしれない。

2. “PITT the YOUNGER on TUMBLR” 「小ピット、Tumblrに」。小ピットは18世紀後半のイギリスの政治家。最近はブログのプラットフォームとしては、bloggerよりもtumblrの方がかっこいいと思われてるのか?

3. “GRATIS WYE-FYE” gratisは「無償」の意。「無料Wi-Fi」。Wye-Fyeという綴りもなんとなく18世紀的。

4. “MARIE ANTOINETTE’S BLOG ~ NEW CAKE RECIPE” 「マリー・アントワネットのブログ – 新しいケーキのレシピ」。これは説明の必要はないでしょう。アントワネットはtumblrじゃないのね。

5. “Will thou be my Visagebook friend?” 「貴公は拙者の顔本友達になってくださるかな?」Visageとは顔のこと。もちろんFacebookのもじり。

6. “I saw her on ThouTube” 「彼女は ThouTube で見たよ。」ThouはYouのことなので、YouTube。

7. “Is this the South Sea Bubble 2.0?” 「これは南海バブルの二の舞か?」最近のネット関連企業の人気は、ドットコムバブルの二の舞かと言われていることを踏まえて。南海バブルは18世紀の経済バブル。

8. “I hear Tom Paine’s all a-twitter” 「トム・ペインが大人気らしい。」a-twitterは文字通りに訳すと「ツイッターで話題になっている」だが、「話題になる」に相当する普通の単語はabuzz。Googleのソーシャルネットワークの試みの一つにGoogle Buzzというのがあり、あまり成功しなかったので、それも引っ掛けたものだろう。トム・ペイン(トマス・ペイン)は18世紀のイギリス/アメリカの思想家、独立の父の一人。

9. ラップトップ。シルバーっぽいボディはマックか?

10. こちらは紛うことなくiPad。林檎のロゴがはっきり見える。

11. “WIKYE-LEAKES LATEST: Josephine Bonaparte’s emails” 「ウィキリークス最新情報:ジョゼフィーヌ・ボナパルトのEメール」。

12. “TEA PARTY GAZETTE BACHMANN DOTH ROCK” 「ティーパーティー新聞、バックマン最高!」バックマンは最近サラ・ペイリンよりも一部で人気を集めている保守派の女性政治家。Tea Partyといえば、元来はアメリカ独立戦争時の事件の一つであるBoston Tea Partyを意味し、これも18世紀後半の事件なので、この絵の時代と合致する。

13. マウス。Windowsマシン風の2つボタンマウスが床に転がっているのは、最近のタッチスクリーンの隆盛とも関係があるのかもしれない。

インターネット

長らく家のインターネットは電話会社のDSLだったのだが、あまりに同居人が文句を言うのでとうとうケーブルに乗り換えた。ちなみにうちはテレビがない(というか、見たいものがない)ので、ケーブル会社との契約そのものがなかったのである。

わたしはインターネットを使うのはどうせ職場が主だし、家のWi-Fiがダウンしても、どうしても必要ならばiPhoneの3G回線という奥の手を持っているのだが、同居人はself-unemployedなので家に安定したネット環境が必要。加えて、スマートフォンは使ってない、おまけにYouTube大好きと来ている。(テレビを見ない分、YouTubeを見る。)

うちのDSLの問題点はスピードと安定性。スピードの方は、電話会社がこの地域のインフラに投資していないため、ダウンロード最高1.5 Mbpsという、最早「ハイスピード」の定義にもひっかからない遅さ。それだけではなく、雨や風が吹くと必ず回線がダウンするという(電話はいちおう大丈夫なのだが)不安定さに業を煮やして、とうとうケーブルに乗り換えることにした。

何で今までDSLで我慢してきたのかというと、これは単純に値段の問題である。DSLと電話、それも国内長距離電話使い放題プランの値段の方が、ケーブルインターネット(とケーブル会社経由の電話とのカップリング)よりもずっと魅力的だった。「え〜、今時、固定電話?」と言う意見もあるだろうが、緊急時はやはり固定電話の方が安定しているし(これは前に大暴風雨が来て、地域のインフラが全滅したときに経験済み)、電話魔の同居人を抱えていると、どうしても使い放題プランが必要。これまでこれがネックになってケーブル乗り換えを却下していたのだが、最近、ケーブル会社経由でもとうとう許せる値段の国内長距離電話使い放題プランが登場したので、重い腰を上げて乗り換えることにした。

さて、昨日無事にケーブル屋のおっちゃんがやってきてセットアップされたので、今日、電話会社にキャンセルの電話をした。これまでの経験上、utilityのキャンセルの電話をすると、「どうしてキャンセルされるのですか?こんな割引プランがありますが、いかがですか?」としつこく引き止められるので、面倒だと思いながら電話してみたら、なんとあっさり、「はい、かしこまりました。では、修正した請求書を送ります。一週間ほどお待ちください。」とのこと。あら、こんな簡単にキャンセルさせてくれるの初めてだわ、と思っていたら、案の定、「キャンセルの理由をおうかがいしてもよろしいですか?」

(やっぱりそう来ると思ってたよ。)

わたし:「う〜ん、だって、遅いんですよ、DSLは。」

(さあ、どう来る?)

むこう:「そうですね。わかります。」

(えっ、わかってるんやったら、もうちょっと本腰入れて、顧客保持に勤めんかい!)

あまりにカスタマーサービスの物わかりが良すぎると不安になるのは、アメリカ根性が染み付いてしまったせいだろうか?

地震支援チームの経験から

オマハにはあまり大きな日本人コミュニティはないが、大学の中で積極的に地震津波災害支援を率いてくださる方(日本出身の方)がおられるので、できるだけ活動には参加させていただくようにしている。先日、そのミーティングがあったので、そこで思ったことを少々。

アメリカ人の考える「援助」の典型は、お金や労力を集めて、それによって直接の恩恵を被った人の笑顔を見る、というパターンだと思う。これはアメリカ国内のハリケーンやトルネードでも、国外の地震や津波でも同じこと。「相手の顔の見える援助」というものを重視する。つまり、「山田さん一家は津波のために、先祖代々、百年以上にわたって耕してきた農地を奪われました。けれど、わたしたちの援助によって、新しい耕耘機を購入し、流された表土を入れ替え、来年の作付けに向けて準備を進めています。」(そこに、新しいピカピカの耕耘機の運転台に座る『山田さん』の写真が載る)という具合。アメリカの新聞、雑誌の記事を少し読めば気づくと思うけれど、とにかく具体的な例を引き合いに出す、というのがお定まりのパターンになっている。

そういうメンタリティが背景にあるから、地震支援チームの活動状況を学内の上層部に報告するときに、カルチャーギャップに悩まされるという。大学上層部は、「もう地震から3ヶ月以上も経つのだから、そろそろ何らかの目に見える形での業績があってしかるべきだろう」と期待するらしい。うちの大学の支援チームは、集めた寄付金を赤十字などに送るより、もうちょっと相手の顔の見える援助をしたいということで、間に紹介する人もあったので、被災地の特定の学校に対象を絞って援助を計画しているという。ところが、被災地側の方に具体的にどのような援助が必要かと尋ねたら、「自分は下っ端なので、一存では決定しかねる。」もう少し上の組織に話を通してもらったら、「全国の学校に平等に支援をするというなら手助けできるが、特定の一校だけの支援なら当方は介入できない。」何とか適当な立場の人にようやく渡りをつけてもらったと思ったら、「こちらからどのような援助が欲しいとは言えない。そちらがどのような援助ができるのか、言ってほしい。」アメリカ側は現在のところ完全に手弁当、予算ゼロで活動しているので、大学の正規活動として予算を付けてもらうためには、被災者側からどのような援助が必要か言ってもらわないとならないということで、堂々巡りばかりでなかなか物事を前に動かすのに時間がかかるということだった。

わたしは被災地側の対応を非難するつもりはない。日本の通例としてはその通りだと思う。しかし、「せっかくの義援金が被災者の手元に届いていない」という背後には、このような小さな歯車の齟齬がいくつも積み重なっているのであろうことは容易に想像できる。だからこそ、つまらない政争に明け暮れる中央政界に頼らず、このエコノミストの記事にあるように、地元が主導権を握らないことには、復興は進まないと思う。

超能力犬?

ふだんは仕事に行くときは徒歩か自転車。でも、休日は駐車許可証がなくても車を停められるので、暑いし、車でちょこっとラボに行くことにした。

すると。

普段はわたしが外に出るときにはついて来ない犬が、なぜか一緒に外に出て来て、車の扉を開けたとたん、さも当然のように乗り込んだ。(ジジは車でドライブに行くのが大好き。)

なんで車の扉を開ける前から、わたしが車で出かけようとしていることを察知したのか?

「car」とか「drive」とかいう単語を認識してる?

それとも、

超能力?

超能力犬のご近影。

Latin Mass

Vatican II (バチカン第二公会議)以来、各国の現地語でミサを祝うのが通例となったが、最近、ラテン語ミサが復活しつつある。うちの教会でも、しばらく前から月に一回、第一土曜日の晩にラテン語ミサをやるようになったので、ためしに行ってみた。

伝統的ラテン語ミサでは司祭はほとんどずっと祭壇の方に向いたままで、会衆との交流はほとんどない。会衆はほとんどずっと跪いたまま、ラテン語でぶつぶつ言っている(会衆に聞こえるように言う部分と、聞こえないように言う部分とがある)司祭の背中を眺める、という算段。

なんでも見つかるYouTube。もちろんラテン語ミサもある。

と、ここまではだいたい知っていたのだけど、聖体拝領で初体験!跪いて司祭の手から直接口に聖体を入れていただくのだが、このとき顎の下に金魚すくいのお化けみたいな柄のついた大きな金属板が差し出された。うちの同居人はVatican II以前にaltar boyをしていた世代だから、家に帰っていったいあれは何なのかと尋ねてみたら、あれはpatenという「聖体キャッチャー」であるとのこと。

「Vatican II以前はな、聖別された司祭の指以外のものが聖体に触れたらあかんかってん。その規則のやかましいこと、お堅い女が貞操を守るよりも厳しかってんで。だから、聖体を受け損ねて落としたり、かけらが落ちたりしたら大変やから、口で受けるときにあのキャッチャーを差し出すことになっててん。」

アイルランド育ちの作家Frank McCourtの回想録「Angela’s Ashes」に、初聖体を拝領したFrankが緊張のあまり嘔吐して、聖体を地面に落とす場面がある。吐瀉物に混じった聖体をどう扱ったらよいのか家族が大騒ぎするのだが、現在とVatican II以前の聖体の扱いの違いを知ってはじめて、あの騒ぎが理解できたような気がする。

reEnergize 続き

前に書いた省エネコミュニティプログラム、役所から書類が届いたので(実は二週間ほど前に届いていたのだけど、放置してた)見てみたら、住所、光熱費データへのアクセス許可、改修前後の写真撮影許可などの書類に混じって

「わたしは米国市民です。

もしくは

わたしは合法的に米国に在住している外国人で、わたしの外国人登録番号はxxxxxです。必要であれば外国人登録証を提示します。

(どちらか該当する方にチェックしてください。)」

などという書類が入っていた。

これは「ネブラスカ州法なんたら条項によって、定められたものです。」という但し書きがついていたが、おそらく、「不法移民が政府の補助金を吸い取っている」という(おそらくあまり実態のはっきりしない)「住民の声」によって、性急に制定された「不法移民取り締まり法」の一環だと思われる。(調べたわけじゃないから、間違ってるかもしれないけど。)

わたしはいちおうずっと合法的にこの国に在住してきたので、別にこのような書類が来てもやましいところはないのだが、そもそも米国市民なら自己申告だけでいいのに(別に出生証明書を出せとは書いていない)、外国人だけやれ登録番号だの登録証だの、プログラムの本質とは無関係な書類を提出させられるのは納得できない。日本の役所だと「規則ですから」の一言で本質とは関係のない書類の提出を強要するのは日常茶飯事かもしれないが、個人情報は自分で守るのがアメリカの基本(注)。市役所の連中にわたしの外国人登録番号を教える必要性は全く理解できないので、このプログラムは参加しないことにした。それに、前に書いたときにコメントで指摘していただいたように、家のアップグレードを理由に固定資産税の評価額を上げられる危険も十分にあるし。

(注)たとえば雇用のときに「わたしはこの国で合法的に働くことができます」という書類にサインさせられるが、これは米国市民も外国人も一緒。外国人はビザを提示、米国市民は出生証明書かパスポートを持って来さされる。こういう条件ならわたしも納得できる。